東京地方裁判所 昭和60年(ワ)10312号 判決 1997年7月16日
主文
一 被告は、原告らに対し、別紙原告別認容額一覧表の合計欄記載の各金員並びに同表の固有慰謝料欄記載の各金員に対する昭和五八年九月一日から、同表の相続損害欄、葬儀関係費用欄及び弁護士費用欄記載の各金員に対する昭和六〇年九月二八日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、右主文第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告らに対し、別紙原告別請求額一覧表の合計額欄記載の各金員並びに同表の相続損害欄記載及び固有慰謝料欄記載の各金員に対する昭和五八年九月一日(後記の本件事故発生の日)から、同表の葬儀関係費用欄及び弁護士報酬欄記載の各金員に対する昭和六〇年九月二八日(訴状送達の日の翌日)から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
第二 事案の概要
本件は、昭和五八年九月一日午前三時二六分(日本時間)ころ、被告が運航する旅客機(以下「本件事故機」という。)が予定航路を逸脱し、当時のソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)の領空を侵犯した結果、同国の戦闘機によって撃墜され、その乗客ら全員が死亡し、手荷物等が滅失したこと(以下「本件事故」という。)について、乗客の遺族である原告らが被告に対し、一九二九年一〇月一二日にワルソーで署名された「国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約」(昭和二八年条約一七号。右条約を改正する次のへーグ議定書による改正前のもの。以下「ワルソー条約」という。)一七条、一八条、若しくは、「千九百二十九年十月十二日にワルソーで署名された国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約を改正する議定書」(昭和四二年条約第一一号。以下「ヘーグ議定書」という。)により改正された後のワルソー条約(以下「改正ワルソー条約」という。)一七条、一八条による損害賠償責任、又は、不法行為による損害賠償責任(使用者責任)に基づき、本件事故によって生じた損害の賠償を求めている事案である。
一 争いのない事実等(証拠を明示した部分以外は争いのない事実)
1 国際運送契約の締結
被告は、大韓民国(以下「韓国」という。)の商法に基づき設立された株式会社であり、航空機により有償で行う旅客、手荷物又は貨物の国際運送等を業とし、日本に営業所を有している。
別紙被害者目録記載の井上聖子、同井上美和及び同井上陽(以下、右三名を併せて「井上聖子外二名」という。)は、出発地をカナダ連邦のトロント、経由地をアメリカ合衆国(以下「米国」という。)のニューヨーク、アンカレッジ及び韓国のソウル、到着地を東京とする航空機による有償旅客運送契約を、同石原益代(以下、井上聖子外二名と併せて「本件被害者ら」という。)は、出発地をニューヨーク、経由地をアンカレッジ、ソウル、到着地を東京とする航空機による有償旅客運送契約を、それぞれ遅くとも昭和五八年八月三一日までに被告との間で締結し(以下、右各契約を併せて「本件各運送契約」という。)、被告が所有し運航する大韓航空機KE〇〇七便(ボーイング七四七―二〇〇型ジェット機。前出の「本件事故機」である。)にそれぞれ乗客として搭乗するとともに、その手荷物を委託した。
2 本件事故機の予定航路
(一) 本件事故機は、昭和五八年八月三一日四時〇五分(グリニッチ標準時。以下、別段の表示がない限り、グリニッチ標準時で表記する。また、同日については、時刻のみ表記することがある。)、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港(以下「ケネディ空港」という。)を離陸し、一一時三〇分にアンカレッジ国際空港(以下「アンカレッジ空港」という。)に着陸し、同空港で燃料の補給及び乗務員の交代等を行った後に一三時〇〇分同空港を離陸した。
本件事故機は、右離陸時までに、最終的に二四〇名の乗客、三名の運航乗務員、二〇名の客室乗務員及びソウルヘ移動中の六名の被告運航乗務員の合計二六九名を乗せて、「J五〇一ルート」と称する航路を経て、北太平洋の最北端の航路に入り、大洋航路(OTR)を経て日本上空を通過し、ソウルの金浦(キンポ)国際空港(以下「金浦空港」という。)に同日二一時(ソウル時間九月一日午前六時)に到着する予定であった。
(二) アンカレッジ空港と日本を結ぶ航路は、当時、別紙航路図(以下「航路図」という。)のとおり、北から順にR二〇、R八〇、A九〇、R九一及びG四四と称する五本の航路が存在し、これらは併せて「北太平洋複合ルートシステム」と呼称されていた。
右のうちR二〇とR八〇はアンカレッジを出発し東京、ソウル等に到着する西行便の、他の三つは逆方向に飛行する東行便のための航路であり、本件事故機は、そのうち最北端に位置するR二〇を利用することになっていた。右各ルートは本件事故後、名称が変更され、R二〇はR二二〇と呼ばれるようになった(甲一〇、六八)。
(三) 右R二〇(ロメオ二〇)は、航路図のとおり、アンカレッジからベーリング海を経て、アリューシャン列島を横断し、カムチャッカ半島南東沖を通り、千島列島の南東沖を同列島と平行して南西方向に進み、三陸沖に達する航路であり、その航路上には義務的位置通報点として、順に航路図①の「BETHEL(以下「ベセル」という。アラスカ南西部の北緯60度47.5分西経161度49.3分所在)」、航路図②の「NABIE(以下「ナビー」という。ベーリング海上の北緯五九度一八分西経171度45.4分所在)」、航路図③の「NEEVA(以下「ニーバ」という。アリューシャン列島シエミア島北方の北緯54度40.7分東経172度11.8分所在)」、航路図④の「NIPPI(以下「ニッピ」という。カムチャッカ半島南東沖の北緯49度41.9分東経159度19.3分所在)」、航路図⑤の「NOKKA(以下「ノッカ」という。根室南東沖の北緯42度23.3分東経147度28.8分所在)」、航路図⑥の「NOHO(以下「ノホ」という。三陸沖の北緯四〇度二五分東経一四五度〇〇分所在)」、航路図⑦の「NANAC(宮城県沖の北緯38度54.2分東経143度13.9分所在)」と称する各点が存在し、ベセルからノホまではほぼ一直線であり顕著な経路角の変化はない(甲一〇、六八、甲二七の2の五〇頁)。
(四) R二〇を飛行する航空機は、右各義務的位置通報点を通過する際、アンカレッジ又は東京の地上管制に対し、①自機のコールサイン、②現在地点、③現在地の時間、④現在飛行高度、⑤次の通過点、⑥次の通過点までの所要時間、⑦残りの燃料、⑧外気温度、⑨風向及び風速、⑩気象状況の各項目を必ず通報しなければならないとされている。乗務員らは、右の通報事項のうち、②、⑤、⑥、⑨については、後出のINS(慣性航法装置)を操作しなければ覚知不能である。
3 本件事故の発生
本件事故機は前記予定航路を大きく逸脱してソ連主権空域内に侵入し、昭和五八年八月三一日一八時二六分(日本時間同年九月一日午前三時二六分)ころ、ソ連戦闘機のミサイル攻撃を受けてサハリン島西南モネロン島沖合(北緯四六度三三分、東経一四一度一九分付近。航路図記載の★点付近)において撃墜され、そのころ、同所において、同機に搭乗していた本件被害者らを含む乗客乗員全員が死亡し、その手荷物も滅失した(本件事故)。
なお、ソ連は、本件事故直後、本件事故機に搭載されていたブラックボックスに格納されていたデジタル・フライト・データ・レコーダー(飛行記録装置。以下「フライトレコーダー」という。)及びコックピット・ボイス・レコーダー(操縦席音声記録装置。以下「ボイスレコーダー」という。)を回収していた。その後、ソ連から右フライトレコーダー及びボイスレコーダーを引き継いだロシア連邦共和国は、平成五年一月八日、国連の専門機関である国際民間航空機関(以下「ICAO」という。)に対し、右フライトレコーダー及びボイスレコーダーの記録テープの原本を引き渡した。ICAOの事故調査委員会は、同年六月、「一九八三年八月三一日における大韓航空ボーイング七四七の破壊」と題する報告書(甲九五の1、2。以下「ICAO最終報告書」という。)において、本件事故機は、ベセルの北一二マイルの地点からほぼ一直線に撃墜地点に至る経路を飛行したと結論付けた。
4 本件事故機の装備
(一) 搭載設備
本件事故機には、自機の位置確認等のために、以下の設備が搭載されていた(甲六の1、2、七ないし九)。
(1) INS(慣性航法装置) 三セット
本件事故機に搭載されていた三セットのINS(Inertial Navigation Sys-tem・慣性航法装置)は、いずれもリットン社製LTN―七二R―二八型であった。
右装置は、移動体の加速度計の出力を積分すると移動速度が、これをさらに積分すると移動距離が算定できるという原理を利用し、予め入力しておいた出発地点の緯度と経度を基礎とし、地上施設の援助を得ることなく、航空機の現在位置、対地速度等の航法データを表示することができる航法装置であり、航空機の加速度を計測する加速度計とこの加速度計を正確な位置に保持するために高速回転するジャイロから構成されている。
ところで、INSが計測する加速度は、慣性空間(宇宙空間)における航空機の加速度であり、航空機の地球上での移動に伴う加速度の他に、地球の自転による見かけの加速度成分(コリオリの加速度)及び重力加速度成分が含まれているため、INSによって正確な航法計算をするには、見かけの加速度成分を除去し、かつ、重力加速度を受感しないよう調節する必要がある。そこで、INSによる飛行を行う場合には、INSに現在位置の緯度・経度を入力して地球の自転による見かけの加速度成分の補正(コリオリの補正)を計算できるようにした上、前記ジャイロを使用して局地水平(当該地点の重力方向と直交する平面)を保つようにプラットホームを設定する作業(以下「アライン」という。)が不可欠である。
その際、航空機が移動するなどして静止状態にない場合には、INSに余分な力が加わり、プラットホームが安定しないことから、右補正も不可能となり、INSが正常に作動しない事態を生じる。そこで、乗務員(担当・航空機関士)は、①航空機が静止している状態で、飛行計画に従い、INSのモード・セレクト・スイッチをスタンバイ・モードにし、現在位置の緯度・経度をINSにインプットする、②INSのモード・セレクト・スイッチをアライン・モードにし、前記のプラットホームの安定化を行う(安定するまでの経過はINSのCDU〔コントロール・ディスプレイ・ユニット〕上にステータス番号で表示されるが、同番号は安定するに従って減少する。)、③航路上の各予定通過地点(以下「ウェイ・ポイント」という。)及び目的地の緯度・経度をインプットする等の一連の作業を行うことが必要となる。
右作業により、プラットホームの安定後、乗務員が、モード・セレクト・スイッチをナブ(NAV)・モードにすると、INSは航法データの計算を開始するが、離陸後に自動操縦装置(オートパイロット)の運航モード・スイッチをINSモードにすると、INSは連結した自動操縦装置に航法データを流し、自動的にインプットされたウェイ・ポイントを経由して予定航路を飛行するように航空機の各部を操作するシステムになっている。INSは、正確にセットされた場合には、一時間の飛行による平均誤差が約1.1キロ以内にすぎず、極めて高い性能を有している(甲二一の1)。
(2) 気象レーダー 二台
本件事故機は、有効距離約二〇〇ノーティカル・マイル(海里。以下「マイル」という。なお、一ノーティカル・マイルは約1.85キロメートルである。)、探知幅一八〇度の気象レーダーを装備していた。
右気象レーダーは、本来、雨滴からの電波の反射を利用して回避すべき悪天候地域を探知する装置であるが、陸地と水面では、電波の反射が異なるという性質を利用し、右レーダーをマッピング.モードにすれば、機下の海岸線や河川等を地図のように画像化して画面に表示し、地形を確認することが可能になるため、航空機の航法にも使用されている。ただし、悪天候の場合は地形の確認ができないこともある。
(3) ADF(自動方向探知器) 二台
地上の援助設備である後記NDBから発信される無指向性電波を受信して、電波の到来方向を機上の計器に示す装置である。
(4) DMEイントロゲーター
後記(二)(DMEトランスポンダーの項)記載のとおり。
(5) 磁気羅針盤 二台
航空機の首尾線が磁北と形成する角度(磁方位)を示す。
(6) VHF、HF送受信機
超短波(VHF)及び短波(HF)の通信装置である。VHFの方が感度は良いが有効距離は約二五〇マイルにすぎず、HFの方が有効距離が長い。
(二) 地上援助設備
本件事故機の予定航路上には、本件事故当時、次のとおりの地上航空機運航援助設備が利用可能な状況にあった。
(1) NDB(無指向性ラジオビーコン)
航空機に搭載されたADFのために、無指向性の電波を発信する無線標識であり、有効距離は約二〇〇マイルである。本件事故機の予定航路であるR二〇付近においては、アラスカのカイルン山及びナビー南方一四〇マイルのベーリング海上のセントポール島に各所在している。
(2) VOR(超短波全方位式無線標識)
NDBと同様に電波を発信する無線標識であり、その有効距離は約二〇〇マイルである(甲八)。航空機は、自機からみたVOR方位を測定することができるが、R二〇付近においては、ベセル(東方へ約一三五マイル、西方へ約一六〇マイルの覆域を有する。甲九五の1、2)及びニーバ南方のアリューシャン列島のシエミア島(約一七五マイルの覆域を有する。甲九五の1、2)に各所在している。
(3) DMEトランスポンダー(距離測定装置)
航空機に搭載されたDMEイントロゲーター(質問器)と地上装置のDMEトランスポンダー(応当器)の組合わせで作動する二次レーダーであって、電波によるパルス信号が航空機と地上局の間を往復する時間を計ることにより、航空機が、自機と地上局との間の斜め距離を測定することができる装置である。R二〇付近においては、ナビーから約一四〇マイル離れたセントポール島に地上局が存在している。
(4) TACAN(戦術航法システム)
VHF電波を利用し、航空機が、自機からみた地上局の方位及び距離を測定することができる無線標識であり、民間用には距離測定部分のみが利用されている。有効距離は約二〇〇マイルであり、R二〇付近においてはベセルに存在している。
なお、ベセルのように距離測定にTACANを、方位測定にVORを使用している地上局をVORTACと称している。
5 本件事故機の運航乗務員
アンカレッジを離陸後、本件事故機の運航にあたっていたのは、機長千柄寅(チョン・ビョンイン。以下「千機長」という。)、副操縦士孫東輝(ソン・ドンフィ。以下「孫副操縦士」という。)及び航空機関士金義東(キム・ウイドン。以下「金機関士」という。)の三名(以下、併せて「千機長ら」という。)であり、右はいずれも被告の被用者である。
千機長は、韓国空軍のパイロットを約一〇年間務めて、F八六戦闘機等の操縦訓練を受けた後、一九七二年(昭和四七年)に被告に入社し、一九八一年(昭和五六年)にはボーイング七四七型機の機長になった者であり、総飛行時間は一万〇六二七時間、北太平洋複合ルートシステムを飛行した回数は八三回で、このうちR二〇を飛行した回数は一九七九年以降本件事故直前三か月以内の二回を含めて二七回であり、優れた能力及び豊富な経験を有するパイロットであった。
また、孫副操縦士及び金機関士も、北太平洋複合ルートシステムを飛行した回数はそれぞれ五二回、四四回に及んでおり、殊に孫副操縦士はR二〇を一九八〇年以降本件事故直前一二か月以前の五回を含めて三〇回も飛行するなど、優れた能力と豊富な経験を有していた。(甲一八の1、二七の2の一三一頁、五五の1、2)
6 原告らと本件被害者らとの関係
原告らは、本件被害者らと、それぞれ別紙被害者目録記載のとおりの身分関係にあるものである(甲四四の1、2、四五の1ないし5)。
7 損害の填補
被告は、原告井上宏、原告井上哲、原告柄澤紫朗及び原告柄澤幸(以下、併せて「原告井上ら」という。)に対し、本件被害者である井上聖子外二名の死亡に関して、被害者一人当たり見舞金として五〇万円、香典として一〇〇万円(ただし、被害者井上陽については五〇万円)、弔慰金として五〇万円(同二五万円)、補償前払として二〇〇万円(同一〇〇万円)、諸経費前払として一五〇万円(同七五万円)の五五〇万円(同三〇〇万円。以下合計で一四〇〇万円)を、原告石原昭穂、原告宮岡敏子及び原告石原伸二(以下、併せて「原告石原ら」という。)に対して、本件被害者である石原益代の死亡に関して、見舞金として五〇万円、香典として一〇〇万円、弔慰金として金五〇万円、補償前払として二〇〇万円、諸経費前払として一五〇万円、合計五五〇万円をそれぞれ支払った(原告らは右事実を明らかに争わないから、これを自白したものとみなす。)。
二 争点
1 本件事故機の領空侵犯と撃墜との間の相当因果関係
【原告らの主張】
(一) 本件事故当時、米国とソ連は冷戦状態にあり、カムチャッカ半島及びサハリン島(ペトロパブロフスク軍港、ウラジオストック軍港等のソ連軍の重要基地が点在していた。)のソ連領空に侵入する航空機は、ソ連から偵察飛行をしているものと見なされ(歴史上、民間機又は商船に偽装した軍用機又は軍艦の類は枚挙に暇がない。)、ソ連によって警告なしに発砲される可能性のある緊張した国際情勢の下にあり、航路R二〇を航行する運航乗務員はその危険性を認識していた(本件事故機の千機長らもこの危険性を知っていた。)。また、正体不明の外国の航空機が、夜間、通告なしに長時間、カムチャッカ半島、サハリン島上空を侵犯した場合には、ソ連から、当該航空機が重要なソ連軍事基地の偵察飛行を行っているものと見なされ、状況によっては航空機がミサイル攻撃を受ける可能性があることは通常予見可能であった。
(二) 右によると、本件事故機が航路R二〇を逸脱してソ連の領空侵犯を行った場合、スパイ機と見なされてソ連機による無警告の発砲を受け、その結果、状況によっては本件事故機が墜落する事態に発展し、乗客が死亡するに至るであろうことは通常予見できることであるから、本件事故機のソ連の領空侵犯行為とソ連機による撃墜、乗客の死亡等の間には相当因果関係がある。
【被告の主張】
(一) 因果関係の中断
自国の領空を侵犯した航空機に対する対応手続に関して、ソ連も加盟している国際民間航空条約(昭和二八年条約第二一号)は、第三条(d)において、「締約国は、自国の航空機に関する規制を設けるに当たり、民間航空機の航行の安全について妥当な考慮を払うことを約束する」と規定し、同条約二附属書添付A(ATTACHMENT A。以下「添付A」という。)7.1において、「要撃機は、民間航空機を要撃するいかなる場合においても、武器を使用しないものとする」と規定している。すなわち、国際民間航空条約は、民間航空機による領空侵犯があっても、要撃機はいかなる場合にも武器を使用してはならないということを原則としており、要撃行為が領空侵犯行為を排除するという一定目的に限定された国家の警察行動であると捉えれば、民間航空機の撃墜は比例原則を超えた過剰なものである。
ところで、行為者の行為と結果との間に、異常な自然的事実や他人の故意に基づく行為が介入し、それが結果の発生を決定的なものにしたときは、当初の行為者の行為は、教唆又は幇助に該当しない限り、結果に対する因果関係が否定されるというべきである。
これを本件について見ると、ソ連は、添付Aに定められた右要撃手続を無視し、本件事故機に警告を与えずに本件事故機を撃墜したのであるから、本件事故機のソ連領空進入と本件事故の発生(撃墜、被害者らの死亡等)との間には、ソ連が本件事故機が民間機であることを十分に確認せずにミサイル攻撃を行ったという「他人の故意に基づく行為」が介在してり、かつ、被告がソ連の行為を教唆又は幇助したという関係もないから、被告の行為と本件事故の発生との間の因果関係は中断されたというべきである。
(二) 相当因果関係の欠如
仮に、本件事故機のソ連領空進入という行為と本件事故の発生という結果との間に事実的因果関係が存在するとしても、行為者の行為と結果との間に第三者の行為が介在し、それが経験則や科学的予測を完全に絶する場合には相当因果関係が否定されるというべきところ、ソ連は、自国の領空を侵犯する航空機が軍用機であったとしても、何らの警告を発することなく撃墜するような行為を通常は行わず、むしろ、これを強制着陸させるための措置をとるのが通常であり、本件のソ連機による撃墜行為は、通常の要撃行為からは想定できない異常な行為であって、国際法に違反し経験則に著しく反するから、被告のソ連領空侵入行為と本件事故の発生との間には相当因果関係がない。
2 責任原因(航路逸脱の原因)
【原告らの主張】
(一) ワルソー条約による責任(本件被害者らとの関係)
被告と本件被害者らとの間には、ワルソー条約ないし改正ワルソー条約が適用されるから、ワルソー条約ないし改正ワルソー条約の各一七条、一八条に基づき、被告は旅客である本件被害者らの死亡による損害及び物損についての賠償責任を免れない。
なお、本件訴訟において、従前被告がワルソー条約二二条及び改正ワルソー条約二二条所定の責任限度額の抗弁を援用したことから、右条約二五条の主観的要件(意図、認識等)の有無等を巡って審理上長期間にわたる争いがあった。ところが、被告は平成八年七月一〇日付け準備書面(平成九年二月五日の第八八回口頭弁論期日において陳述した。)をもって、右抗弁の援用を撤回した。しかし、右責任限度額に関する一連の責任制限規定は、当事者に援用するか否かの選択を許すものではなく、裁判所は条約の解釈として当然に法的判断を下すべき事項というべきである。また、原告らは、金銭的賠償を受けることのみを目的として本件訴訟を提起したのではなく、本件事故発生の原因を追及する一方策として本件訴訟を追行し、長期間主張立証を尽くしてきたものであり、理由中の判断にも結論に劣らない意味があると考えているものであるから、被告が右抗弁の援用を撤回すれば、被告の帰責事由の有無について判断が不要になるということは相当ではない。
そこで、原告らは、以下、本件事故機の航路逸脱の原因を明確にし、本件においてはワルソー条約二五条及び改正ワルソー条約二五条に定める主観的要件があり、責任限度額の適用がないことの根拠(慰謝料の算定の基礎を裏付ける意味も有する重要な事実でもある。)を主張する。
(1) 航路逸脱の原因
① 政治的な故意
本件事故機は米国軍(以下「米軍」という。)のスパイ機であり、千機長らはソ連の重要な軍事施設のあるカムチャッカ半島(ペトロパブロフスク)、サハリン島、ウラジオストック等を上空から偵察する目的、又はソ連の内陸部の防空レーダーを作動させその性能をチェックするなどの目的で、意図的に所定航路を逸脱してソ連の領空を侵犯したというべきである。その根拠は、自衛隊及びソ連発表のレーダー資料によれば、本件事故機は、サハリン島上空などにおいて、地上管制に対して申告を行わずに高度及び針路を変更していたこと、本件事故機は、ソ連戦闘機に要撃された際に、追撃をかわすためと見られる減速をしていること、本件事故機は、カムチャッカ半島沖で米軍のRC一三五電子偵察機(以下「RC一三五」という。)と会合していること、米国は明らかに本件事故機が航路を逸脱していることをレーダーで探知していたにもかかわらず、これに対して警告等の措置をとることなく放置していることなどである。(甲一四、一五、二〇の1、2、二一、三二)。
② 非政治的故意
千機長らは、高価な航空燃料を節約する目的で、意図的に航路を逸脱して目的地ソウルまでの近道(大圏航路)を利用した。
③ INSのミスインプット(甲一七)
金機関士は、アンカレッジ空港離陸前にINSに現在位置をインプットする際に、経度を西経一四九度とすべきところを、誤って西経一三九度とインプットしたため、その結果INSが誤った針路を示し、千機長らもこれに気付かなかったため、航路を逸脱した。
④ INSの誤操作
ア 千機長らは、アンカレッジ空港を離陸するに当たり、INSをアラインモード(INS内部のプラットホームを水平にすること)にしてプラットホームを安定する調整を行う際に、過って安定以前に本件事故機をターミナルから誘導路へ移動させてしまい(プッシュバック)、INSに外力が加わったため、INSが正常に作動せず、航路を逸脱した(甲一二の1、2、一三)。
イ 右アの経過により、INSが正常に作動しなかったが、千機長らは離陸後にこれに気付いたにもかかわらず、INSなしで飛行を敢行し、結局航路を逸脱した(甲一八、一九)。
⑤ ヘディングモードからINSへの切替えの失念(甲九五の1、2)
千機長らは、離陸後、何らかの理由でINSを使用せず、自動操縦装置の運航モード・スイッチをヘディングモード(機首を特定の磁方位に向けてその方向へ飛行する方法。マグネティックモードともいう。)にして飛行していたところ、INSモードに切り替えるのを忘れ、航路を逸脱した。
(2) 責任原因
右①、②の場合は故意に基づく航路からの逸脱であることは明らかである。右③ないし⑤の場合には、航路逸脱について、以下のとおり千機長らの故意に相当する重過失が複合的に存在したというべきである。すなわち、
① INSの使用ミス又は不使用
ア INSの使用ミス
本件事故機に搭載された相互に独立した三台のINSは、一飛行時間当たりの誤差が二マイル以下であり、同時に故障する確率は一〇億分の一以下であるなど、極めて正確な装置であるから、千機長らが、INSを正しく操作し、現在位置及びウェイポンイトを正確に入力したとすれば、本件事故機が航路を逸脱することはあり得なかった。
他方、INSへの現在位置等のインプットを担当する金機関士が経度や緯度の設定ミスをしたとしても、千機長及び孫副操縦士がデータを点検すれば右ミスを知り得た。仮に、千機長らが右ミスを発見し得なかったとしても、三台のINSのうちの二台に三五マイル以上の異なった数値がインプットがされれば、INSはナブ・モードになった際に表示板がフラッシュして警告を発するシステムになっていること、誤った入力をしたINSには飛行中に他の二台と異なる航法データが表示されるから、千機長らがINSを正常に利用、観察していればこの異常は容易に発見できること、アライン中にINSに外力が加わった場合は、INSは正常に作動しないが、その場合には赤色警告灯が点滅し、CDUのアライン状況を示すステータス番号が初期の番号に戻るシステムになっていること等に照らすと、設定ミスがあれば、千機長らは容易にこれを知り得た。
イ INSの不使用
INSを使用せず、ヘディングモードで飛行した場合は、千機長及び孫副操縦士の眼前に存在する重要な計器であるHSI(水平位置指示機)に航路逸脱が表示される。また、この場合は、本件事故機がウェイポイントの真横を通過した場合に、HSI上のウェイポイントとの距離の表示が零にならないから(ウェイポイントの直上を飛行すれば距離の表示は零になる。)、千機長らは、容易にこれを知り得た。
② 義務的位置通報点
本件事故機は、アンカレッジから撃墜に至るまで、ベセル、ナビー、ニーバ、ニッピの各義務的位置通報点を通過し、千機長らは、その際には、地上管制に対し、①自機のコールサイン、②現在地点、③現在地の時間、④現在飛行高度、⑤次の通過点、⑥次の通過点までの所要時間、⑦残りの燃料、⑧外気温度、⑨風向及び風速、⑩気象状況の一〇項目を必ず通報しなければならないとされ、右の通報事項のうち②、⑤、⑥、⑨は、INSを直接操作しなければ知ることができないから、その時にINSが正常に作動していたとすれば航路逸脱の事実を、正常に作動していなかったとすれば同事実をそれぞれ認識し得た(なお、INSが正常に作動していなければ、洋上飛行は困難であるから、千機長らは飛行を断念しアンカレッジ空港に引き返すべきであった。)
③ 地上援助施設
ア ベセル
本件事故機の予定航路上にある義務的位置通報点であるベセルには、VORTAC局が存在しており、千機長らはベセルの北方を通過する際、同局を利用すれば航路逸脱を容易に知ることができた。
イ ナビー及びセントポール島
ナビーにおいては、同地点の南方のセントポール島に所在するNDB及びDME局の電波を受信することが可能である。千機長らは、本件事故機がアンカレッジ管制に対しナビーを通過した旨の報告をした時点で、右電波を受信できたとすれば、同電波を利用して自機の位置を知ることができたし、受信できなかったとすれば、本件事故機が右電波の受信範囲外を飛行しており、したがって現在位置がナビーでないことを知ることができた。
ウ ニーバ及びシェミア島
ニーバにおいては、同地点の南方のシェミア島に所在するVOR局の電波が受信可能である。千機長らは、アンカレッジ管制に対し、本件事故機がニーバを通過した旨の報告をした時点で、右電波を受信できないことに照らし、本件事故機が右電波を受信できない位置を飛行中であり、現在位置がニーバでないことを容易に知ることができた。
エ VHF通信
本件事故機は、アンカレッジ管制(セントポール島中継)に対するナビー通過の報告を直接VHFで行うことができず、僚機であるKE〇一五便の中継により行った。しかし、通常ナビーでは、アンカレッジ管制とVHFで通信が可能であるから、千機長らは、本件事故機がVHFでは交信不能な地点(セントポール島から二五〇マイル以上離れた場所)を飛行しているのではないかとの疑念を抱くことができた。
④ 気象レーダー
当時付近の天候が悪かったとしても、カムチャッカ半島のような巨大な陸地がレーダーに表示されないことはあり得ないから、千機長らは、本件事故機搭載の気象レーダーをマッピングモードにして使用すれば、自機が予定航路であるR二〇を逸脱してカムチャッカ半島、オホーツク海、サハリン島の各上空を飛行していることを容易に知り得た。
⑤ ニッピからの右折
仮に、本件事故機が、後記被告の主張のとおり、ニッピまで予定航路上を飛行し、その後、何らかの理由で右旋回して本件事故現場に至ったとしても、千機長らは、本件事故機が旋回したことに気が付くはずであるし、本件事故機には磁気羅針盤が設置されていたのであるから、これにも急角度の変針が現われたはずである。
(3) 右(1)、(2)によると、本件事故は、千機長らのワルソー条約二五条の定める「故意又は訴えが係属する国の法律によれば故意に相当すると認められる過失」及び改正ワルソー条約二五条の定める「損害を生じさせる意図をもって又は無謀にかつ損害の生じる恐れがあることを認識して行った作為又は不作為」により航路を逸脱した結果、ソ連機による撃墜行為により発生したものである。
よって、被告は、ワルソー条約二二条ないし改正ワルソー条約二二条の責任限度の適用はないから、ワルソー条約一七条、一八条又は改正ワルソー条約一七条、一八条に基づき、本件被害者らの被った損害に関し全額の賠償責任を免れない。
(二) 不法行為による責任(原告らの固有の損害)
右(一)のとおり、本件事故は被告の千機長らの故意又は重過失によって生じたものであり、少なくとも五時間以上にわたり自機の位置を確認せず、航路の逸脱に気付かなかった点に過失のあったことは明らかである。右故意ないし過失に基づく本件事故により、本件被害者らが死亡し、その結果、原告らはそれぞれ多大な精神的苦痛を受け、また、原告井上宏、同石原昭穂、同宮岡敏子、同石原伸二は葬儀費用の支出を余儀なくされたのであるから、被告は右損害についての使用者責任を免れない。
【被告の主張】
(一) ワルソー条約に基づく責任について
本件各運送契約の成立及び本件事故の発生については被告が認めるところであり、ワルソー条約二二条、改正ワルソー条約二二条(責任制限度額の規定)は被告の抗弁であるから、その援用の撤回は被告の自由であり、右撤回があった以上、裁判所は、ワルソー条約二五条の定める「故意又は訴えが係属する国の法律によれば故意に相当すると認められる過失」及び改正ワルソー条約二五条の定める「損害を生じさせる意図をもって又は無謀にかつ損害の生じる恐れがあることを認識して行った作為又は不作為」の判断をすることは相当でないものというべきである。
(二) 不法行為責任(原告らの固有の損害)について
本件事故機が故意にソ連領空を侵犯したことはあり得ないし、結果として領空侵犯した場合においても、前記のとおり、ソ連機が撃墜行為に及ぶことは、国際法や経験則に著しく反し、通常の要撃行為からは予見不可能な異常な事態であるから、被告に責任はない。
3 損害
【原告らの主張】
本件被害者ら及び原告らが本件事故により被った損害は次のとおりである。
(一) 本件被害者らの損害
(1) 逸失利益
本件被害者らの逸失利益の算定根拠は、別紙請求額計算書(1)ないし(4)記載のとおりであり、その額は少なくとも同各計算書逸失利益欄記載の金額を下らない。
(2) 物損
本件被害者らが所持していた現金、所持品等の損害額は、少なくとも同各計算書(1)ないし(4)の物損欄記載の金額を下らない。
(3) 慰謝料
本件被害者らが、ソ連戦闘機の攻撃を受けてから死亡するに至るまでの恐怖及び本件事故により死亡したことによる悲嘆、痛恨は量り知れないものであり、その精神的苦痛に対する慰謝料はそれぞれ金四〇〇〇万円を下らない。
(4) 損害賠償請求権の相続
原告ら(ただし、原告柄澤紫朗及び同柄澤幸を除く。)は、本件被害者らの右損害賠償請求権を、それぞれの法定相続分に従い、別紙原告別請求額一覧表相続損害欄記載のとおり相続した。
(二) 原告らの損害
(1) 固有の慰謝料
原告らは、本件被害者らの死亡について、それぞれ甚大な精神的苦痛を被り、今後も悲しみを何十年にもわたって耐えなければならないのであって、特に、被害者らの遺体も発見されていないため、原告らは被害者らを手厚く葬ることもできず、原告らの悲しみはいつまでも消え去ることはない。したがって、原告らの右精神的苦痛に対する慰謝料は、それぞれ別紙原告別請求額一覧表固有慰謝料欄記載の金額を下らない。
(2) 葬儀関係費用
原告らが支出した葬儀関係費用は、それぞれ別紙原告別請求額一覧表葬儀関係費用欄記載の金額を下らない。
(3) 弁護士費用
原告らは、それぞれ本訴の提起及び追行を原告ら訴訟代理人らに委任し、請求額(被告が賠償すべき金額)の一〇パーセントを報酬として支払うことを約したが、これは、本件事故と相当因果関係にある損害として、いずれも被告が賠償すべき損害である。
【被告の主張】
(一) 本件被害者らの損害について
(1) 逸失利益
① 被害者井上聖子は主婦であるから、主婦の生命侵害の場合の逸失利益は、賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計の全年齢の女子労働者全体の平均賃金によるべきである。
② 被害者井上美和及び同井上陽は年少者であり、年少者の逸失利益については可能な限り蓋然性のある方法で算定すべきところ、それぞれ短大及び大学への進学の蓋然性が高いということはできないから、短大卒女子及び大卒男子の給与を基準にすべきではなく、賃金センサスの男女別全年齢平均給与額を基準にライプニッツ係数を用いて中間利息を控除した額とすべきである。
③ 原告らは、毎年の賃金上昇率(三パーセント)を勘案するように主張するが、右毎年の賃金上昇率とは将来の昇給ではなく、名目賃金の是正としてのべースアップ分であると思料されるが、これを認めるのは相当ではない。
④ 被害者の慰謝料
生命侵害の慰謝料は定額化された基準に従うべきである。
(二) 原告らの損害について
(1) 慰謝料
死亡慰謝料の額は当然に遺族固有の慰謝料も考慮したものであるから、遺族の固有の慰謝料を個別に請求することはできない。
(2) 葬儀関係費用
定額の葬儀費用に従った金額とすべきである。
4 寄与度(割合的責任)
【被告の主張】
ソ連による撃墜行為は、その自由かつ故意に基づいた行為であり、本件事故機は警告すら満足に受けないで撃墜されたものであるから、被告の寄与の度合は極めて低いというべきであって、賠償責任額も被告の寄与の限度、すなわち、正常な要撃が行われた場合であれば原告が被った被害ないしは右に準じる範囲に限定されるべきである(損害賠償の根底にある公平な負担の観点に照らすと、被告の航路逸脱のみでは通常墜落という結果を生じる余地はなく、専らソ連側の国際法違反の行為が真の原因であることを考慮し、被告の寄与度の範囲に賠償額を限定すべきである。)。
【原告らの主張】
本件事故の発生原因は前記原告らの主張のとおりであり、被告の主張は失当である。
第三 争点に対する判断
一 判断の基礎となる事実
前掲争いのない事実等に、証拠(全体につき、甲一〇、一二の1、2、一三、一七、二〇の1、2、二七、三二、六八、九五の1、2。その余は以下の各項に掲げた証拠)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 本件事故当時の国際情勢
第二次世界大戦終了のころから、本件事故時(昭和五八年)をはさんで、平成元年一一月ころ、いわゆるベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合へと動き出すに至るまでの間(なお、その後平成三年一二月に、ソ連の消滅と旧ソ連を構成していた一一共和国による独立国家共同体(CIS)の誕生が協定宣言された。)、米国を中心とする西側資本主義国家陣営とソ連を中心とする東側社会主義国家陣営との間には、時に極度の軍事的緊張を伴ういわゆる冷戦状態が存し、本件事故当時、米国とソ連はそれぞれ全世界を一日にして焦土と化すに足りるほどの多数の核兵器を保有し、政治的軍事的に厳しく対立していた。
ソ連の右核戦力の中心は、戦略ミサイル原子力潜水艦から発射される核ミサイルであって、ソ連極東地域には、日本海に面する沿海州のウラジオストックやカムチャッカ半島のペトロパブロフスクなどに右核ミサイルを搭載した原子力潜水艦の基地が所在し、他にも千島列島、サハリン島などにも多くの軍事基地が点在していた。他方、米国も、日本、韓国、アリューシャン列島及びアラスカなどに多数の軍事基地を保有し、北太平洋には多数の航空機を搭載した原子力空母を中心とする艦隊を随時展開させていた。
本件事故発生当時(昭和五八年)も、右の軍事的緊張関係は高度であって、本件事故機の予定航路であったR二〇付近は、米ソが軍事的に厳しく対峙する緊迫した地域であり、米軍は、従前から、ソ連の軍事基地のレーダーや迎撃戦闘機等の配備状況、侵入機に対する即応態勢、能力などを調査するため、時に領空侵犯を伴う偵察行動を恒常的に行っており、特に、アラスカ及びアリューシャン列島等に所在する基地から発信したRC一三五は、日常的にR二〇の近辺を含むカムチャッカ半島付近などのソ連領空外縁部を飛行し、電子情報収集活動を行っていた。
そこで、ソ連においても、米軍の右情報収集活動について厳戒態勢をとり、偵察行動や領空侵犯を行うRC一三五を要撃するため、度々、戦闘機を緊急発進させるなどしており、本件事故現場付近には、右米ソ間の著しい軍事的緊張関係が存在していた。
(甲二一の1、公知の事実)
2 ソ連の領空を侵犯したときの危険性
(一) 添付Aが勧告する要撃手続
(1) 一般に、外国の航空機が自国の領空を侵犯した場合、主権の行使として当該侵犯機を領空外へ退去させたり、着陸させたりするために取る措置は、「要撃」(インターセプション・Inter-ception)と称されており、本件事故当時、ICAOは、その加盟国に対し、国際的に承認すべき要撃手続として国際民間航空条約第二付属書添付A(前出の添付A)による要撃手続を勧告していた。
添付Aは、民間航空機に対する要撃は避けるべきであり、最後の手段としてのみ行うべきこと、民間航空機に対する要撃は、被要撃機の正体を見極め、その安全な運航に必要な航行上の援助を与えるに留めるべきこと、武器を使用してはならないことなどを規定している。したがって、添付Aは要撃機が被要撃機を撃墜することを想定しておらず、添付Aの認める要撃は、被要撃機に警告を与えて領空外に退去させたり、適当な空港に強制着陸させるなどして、その侵犯行為を中止させる行為にすぎない。
(2) 添付Aは、被要撃機に危険が及ばないようにするため、以下のとおり具体的な要撃手続を定めている。
① 要撃機(単独の要撃機又は編隊の指導機。以下同じ)は、被要撃機の後方から接近し、被要撃機の左側を同高度で飛行することにより、被要撃機の機長から肉眼で見える範囲内に入らなければならないが、被要撃機の三〇〇メートル以内に入ってはならない。要撃機編隊のその他の機は、被要撃機から十分な距離を空けて、できればその後方上空に位置すべきである。
② 要撃機は、被要撃機を識別するために同高度を維持したまま徐々に接近することとし、その際、被要撃機の識別のために必要な情報を得るためにやむを得ないと認められる距離以上に接近してはならない。その際、要撃機は、被要撃機の乗務員及び乗客を驚かせたり、危険を与えてはならない。要撃機編隊のその他の機は、引き続き被要撃機から十分に距離を空けなければならない。要撃機は、被要撃機を識別した場合は、浅い角度の降下で被要撃機から離れなければならない。
③ 要撃機が、右のような確認を行った結果、被要撃機の航行を阻止する必要が認められた場合には、要撃機は、被要撃機のやや前方左側に出て、被要撃機機長が肉眼で送られる信号を見ることができる位置を取らなければならない。
(3) 添付Aは、要撃機が被要撃機に対して発する信号について、次のように定めている。
① ラジオ通信
要撃中、要撃機及びその管制基地は、可能であれば、国際緊急周波数121.5メガヘルツ(通常、航空機は常にこの周波数を聴取可能にしておかなければならないとされている。)等の周波数を利用して被要撃機と交信を試みなければならず、右が不可能な場合は適切な関係航空交通業務当局を通じて交信を試みる必要がある。
② 視覚信号
要撃機は、国際民間航空条約第二附属書付録A(APPENDIX A。なお、添付Aとは別のもの)に定める視覚信号を使用しなければならない。
(4) 添付Aは、民間航空機に対し要撃を行う場合、要撃機は全ての場合において武器使用を差し控えるべきである旨を定めている。
(以上(1)ないし(4)まで、甲二六、乙一五の1、2、一六、二六の1、第三八回口頭弁論における証人金宗煕の速記録五頁)
(二) 添付Aの実効性及びソ連領空侵犯の危険性
(1) 添付Aは、ICAO構成国に対する勧告ないし指針にとどまり、それ自体構成国に対する拘束力を有しない。
又、ソ連においても、米国、韓国などソ連以外の国においても、領空侵犯をした民間航空機が重要軍事施設等の上空を飛行した場合などには無警告で発砲する場合があり、千機長らが使用していた航路図等にもその旨の警告が記載されていた。
(甲六二、六三、乙一五の1、2、一六、第三三回口頭弁論における証人信太正道の速記録一〇〇ないし一〇三頁及び一一三頁、第三四回口頭弁論における同証人の速記録二七頁)
(2) 民間航空機が領空侵犯をしたという理由で攻撃された事例は、次のとおり、本件事故発生時までに少なくとも三件発生している。
① 昭和三五年七月二七日、イスラエル(エルアール)航空の旅客機が、ブルガリア、ギリシャ、ユーゴスラビア国境付近上空において、ブルガリア軍の対空砲により撃墜され、乗員乗客五八人全員が死亡した(甲二三の1ないし3)。
② 昭和四八年二月二一日、リビア航空の旅客機が、シナイ半島上空において、イスラエル軍戦闘機により撃墜され、乗員乗客一〇〇名以上が死亡した(甲二四の1、2)。
③ 昭和五三年四月、パリ発アンカレッジ経由ソウル行きの被告の民間旅客機が、所定の航路を大きく逸脱して、東西両陣営の接点で戦略的要衝でもあるバレンツ海沿岸地域(フィンランド、ノルウェー、ソ連のコラ半島に面する沿岸地域)のソ連領空を侵犯し、ソ連戦闘機による要撃を受けてソ連領のムルマンスク付近に強制着陸させられ、その際の砲撃によって乗客二名の死亡を含む多数の負傷者が出た(以下「ムルマンスク事件」という。)。
(3) ムルマンスク事件を一契機として、ソ連は昭和五七年一二月に国境法を改正し、他の方法により侵犯者を停止できないか、または侵犯者を抑留できない場合には侵犯者に対する武器の使用を認める旨を定め(同法三六条)、領空侵犯機が警告に従って着陸しない限り、領空外に退去しようとしている場合にも武器を使用することがあり得るという態勢を取っていた。また、右国境法には、領空侵犯機について軍用機と民間機を区別して取り扱うような格別の規定がなかった。
(甲一二の2、二五の1ないし7、二六)
(四) 右のような冷戦下の軍事的緊張状態があったため、本件事故より前に米国国防省が発行し、民間航空関係者が入手することも可能であった「軍民共用の航空チャート」には、カムチャッカ半島、千島列島及びサハリン島の上空を、「飛行禁止区域 NON FREE FLYING TERRITORY」とし、「航空機が飛行禁止区域を侵犯した場合には、何らの警告なしに攻撃される可能性がある」旨記載されていた。
(甲二一の1、三二、六七、七〇)
また、航空関係者の間で当時一般的に使用されていたジェプセン社発行の航空地図(甲六八)においても、カムチャッカ半島、千島列島及びサハリン島を「飛行禁止区域」(NON-FREE FLYING AREA」と明記され、航行上の警告(NAVIGATIONAL WARN-ING)として、北太平洋航路を飛行するパイロットはソ連管制空域特に千島列島上空を飛行することを避けるよう表示し、また、R二〇を西行する航空機は航路とソ連の飛行情報空域(FIR)とが接近しているため、右側(ソ連側)に旋回することを避けなければならない旨記載されていた。
(甲三一の1ないし3、三四、五五の1、2、六八、七〇)
(五) 右(一)ないし(四)のとおり、航空機がソ連の許可なくカムチャッカ半島、千島列島及びサハリン島の上空に侵入した場合は、民間旅客機であっても攻撃を受ける危険性は極めて高く、このことは被告を含めた航空関係者の間では周知の事実であり、実際にも被告の乗務員は、右のような緊急事態を想定して添付A、右ジェプセン社発行のルートマニュアル等に基づいて要撃に対処することに関する指導を受けていた。
3 本件事故機の飛行経路
(一) 本件事故機は、アンカレッジからJ五〇一ルートをベセルに向けて飛行した後、R二〇の航路を利用してニッピまでほぼ真っ直ぐに飛行し、同地点で東京洋上FIR(飛行情報区)に入り、三陸沖で右に旋回して、宮城県から新潟県にかけて日本を横断し、日本海を通過し、大邱FIRを経て金浦空港に到着する予定であった。飛行高度は、当初は三万一〇〇〇フィート、ナックス通過後は高度三万三〇〇〇フィート、ニッピ通過後は三万五〇〇〇フィートに変更する予定であったが、アンカレッジ航空路管制センター(ARTCC。以下「アンカレッジ管制」という。)は高度三万一〇〇〇フィートで金浦空港まで飛行することを許可した。
(二) 本件事故機の飛行は、アンカレッジ空港を一二時二〇分に出発し、金浦空港に二一時〇〇分(ソウル時間同年九月一日午前六時)に到着する総時間八時間二〇分の予定であった。しかし、予定航路付近のジェット気流(向かい風)が通常よりも弱かったことから、コンピュータ飛行実施計画上予定飛行時間が七時間五三分となり、予定どおりに出発した場合には、金浦空港への到着時刻が同空港の乗客取扱サービス業務及び税関業務等が開始される二一時以前になってしまうため、千機長らは、出発時間を調整してアンカレッジ空港を一二時五〇分に出発することとし、本件事故機は、一三時〇〇分にアンカレッジ空港三二番滑走路を離陸した。
その直後、アンカレッジ管制は、本件事故機に対し、ベセルへ直行できるようになるまでの間、磁方位(機首方位)約二二〇度を維持して高度三万一〇〇〇フィートまで上昇するように指示した。本件事故機は右指示に従い、上昇しながら左旋回して右機首方位に達した後、自動操縦装置Aを作動モードに入力した。一三時〇二分、アンカレッジ管制は、本件事故機に対し、可能な時に(when able)ベセルへ直行(direct to BETHEL)するように指示し、本件事故機は、右指示に従い、最高一七度の旋回傾斜角で右旋回しながら磁方位約二四五ないし二四六度の方向へ機首を向けた。その後、本件事故機は、同日一三時五〇分、アンカレッジ管制に対し、「ベセルを一三時四九分通過した」旨をVHF通信を使用して報告し、他にも所定の項目の報告を行った。
しかし、実際には、本件事故機は一三時一〇分ころからベセルへの直行航路から右(北)側へ逸脱し始めており、ベセル通過を通報した時点ではベセルから北へ約一二マイル離れた地点を通過していた。
(甲五九、六〇、六六、九五の1、2)
(三) 本件事故機は、一四時三五分、アンカレッジ管制に対し、後続の被告旅客機KEO一五便(アンカレッジ空港を本件事故機より一四分後に離陸しソウルへ向かって飛行していた航空機。以下「〇一五便」という。)の中継によって、VHF(超短波)通信で「ナビーを一四時三二分に通過し、次の位置通報点であるニーバの予定通過時間は一五時四九分である」旨の報告をしたが、一四時四四分には、アンカレッジ国際対空通信局に対し、HF(短波)通信により、「ニーバの予定通過時間を一五時五三分と変更する」旨の修正報告をした上、高度三万三〇〇〇フィートへの上昇許可を求めた。
(四) 一六時〇〇分、本件事故機は、再度〇一五便の中継によって、アンカレッジ管制に対し、ニーバを予定より遅れて一五時五八分に高度三万一〇〇〇フィートで通過したこと、ニッピの予定通過時間は一七時〇八分であることを報告した。一六時〇六分、アンカレッジ管制は本件事故機に対し高度三万三〇〇〇フィートへの上昇を許可し、本件事故機はそのころ同高度へ上昇し、一七時〇九分ころ、東京国際対空通信局(以下「東京ラジオ」という。)に対し、HF通信を使用して、一七時〇七分にニッピを高度三万三〇〇〇フィートで通過したこと、ノッカの予定通過時間は一八時二六分であることを報告した。一八時一五分、本件事故機が高度三万五〇〇〇フィートまで上昇することの許可を求めたことから、東京ラジオは一八時二〇分にこれを許可し、一八時二三分、本件事故機は高度三万五〇〇〇フィートに達した旨の報告をしてきた。
しかし、本件事故機は、実際にはナビーの北約六〇マイル、ニーバの北約一六〇マイルの地点をそれぞれ通過し、R二〇から大きく北側へ逸脱したまま、ベーリング海上を磁方位約二四五ないし二四六度の方向へ飛行し続け、カムチャッカ半島上空に至っていたものであった。
なお、被告は、ニッピから何らかの原因により右旋回して本件事故現場に至った可能性がある旨を主張する。しかし、①米国航空宇宙局発表のケナイ・レーダー及びキングサーモン・レーダー(いずれもアラスカに所在するレーダーであり、キングサーモン・レーダーは当時試験中であったが、その記録はケナイ・レーダーとほぼ一致している。)の捉えた本件事故機の航跡が離陸直後から北へ航路逸脱を開始したという内容であること(甲五九、六〇、六六)、②ソ連発表の本件事故機と見られるレーダー航跡も右航跡のほぼ延長線上にあること(後記の湾曲部分を除く。)、③仮に本件事故機が所定のR二〇を飛行していたとすれば、一四時三五分ころには同機はナビー付近を飛行中であり、アンカレッジ管制のVHF通信施設が置かれているセントポール島から交信可能圏内の二〇〇マイル以内の地点にいるから、アンカレッジ管制と直接交信することが可能なはずであるにもかかわらず、実際は、アンカレッジ管制と直接交信することができなかったため〇一五便に対し交信の中継を依頼していること、④本件事故機が報告したナビー、ニーバ及びニッピ地点での各風向、風力及び外気温は、本件事故機から数分ないし十数分遅れてR二〇を飛行していた〇一五便の報告とは著しく異なり、むしろR二〇より北側の空域の推定風向及び風力に近い内容のものであったこと、⑤後続の〇一五便乗務員らは気象レーダー及び肉眼により同機の直前を飛行しているはずの本件事故機を確認しようとしたが発見することができなかったこと(甲五五訳文の二九頁)、⑥フライトレコーダー記録によれば本件事故機はアンカレッジ空港を離陸した直後から本件事故に至るまで終始磁方位約二四五ないし二四六度を維持していたこと、⑦ソ連戦闘機はカムチャッカ半島上空でも本件事故機と思われる領空侵犯機を要撃しようと試みていることなどが認められ、これらを総合すれば、本件事故機がアンカレッジ離陸直後のべセルへの直行航路から逸脱を開始し、ベセルにおいて既に北側に約一二キロメートルも航路を逸脱し、以後R二〇を北側へますます逸脱しながら航行したものであることは明らかであって、被告の前記主張は採用できない。
(甲六の1、七、五五、五七の2、九五の1、2、乙二七の1、2、三六)
4 撃墜
(一) カムチャッカ半島上空
(1) 本件事故機の通過当時、南カムチャッカ半島上には寒冷前線に伴う低層、中層、高層の雲が広がっていたが、オホーツク海上では雲は減少し、R二〇をほぼ北西から南東へと横たわる高気圧の峰でまばらな低雲になっていた。右のような気象状況の中で、同日一五時ころから一七時ころにかけて、米軍のRC一三五が北緯五八度東経一五六度付近のカムチャッカ半島北東沖(ニーバの北西付近)を作戦行動中であり、一六時ころには本件事故機と約七五マイルの距離にまで接近した。このため、RC一三五をレーダーで監視していたソ連防空指令部は、本件事故機をRC一三五であると誤認した。
(2) その後、本件事故機がカムチャッカ半島のソ連領空を侵犯したため、ソ連防空司令部は戦闘機数機を要撃のため緊急発進させて本件事故機を追跡させたが、右戦闘機は上空で本件事故機を発見することができず、一七時〇六分には基地からの指示により帰投した。そのため、本件事故機は、自機がカムチャッカ半島のソ連領空を侵犯し、ソ連戦闘機に追跡されていたことについて気付かなかった。
(甲一一、六一、九五の1、2、乙二七の1、2、三六)
(二) サハリン島上空
(1) 本件事故当時、サハリン島南端にあった温暖前線の接近により雲量が増し、低層は殆ど全天にわたり雲に覆われていたが、中、高層は、まばらな雲やすじ雲が見られる程度であった。
ソ連防空司令部がカムチャッカ上空で本件事故機の要撃に失敗したので、その後も本件事故機はオホーツク海を南西に向けてサハリン上空に至るコースを飛行し続けていた。そこで、ソ連防空司令部は、サハリン地区の軍司令官に対し、カムチャッカ半島上空でRC一三五による領空侵犯が行われたこと、同機がオホーツク海上を二四〇度の磁方位に向けてサハリン島に向けて飛行していることなどを報告した。サハリン島の地上管制は、本件事故機に対する要撃のため、戦闘機に緊急発進を命じ、一七時四二分と同五四分にスホーイ一五型戦闘機二機(コード番号八〇五及び同一二一。以下「八〇五機」及び「一二一機」という。)が、同四六分にミグ二三型戦闘機一機(コード番号一六三。以下「一六三機」という。)がそれぞれ緊急発進した。
八〇五機は一八時〇〇分ころ、一六三機は同〇八分ころ、それぞれ前記気象状況の中で薄い雲越しに本件事故機を発見し(パイロットの一人は「直径二、三センチないし数センチの空飛ぶ点」と表現している。)、本件事故機の追跡を開始した。
(2) 八〇五機は、地上管制に対し、一八時一〇分に、本件事故機が航法灯を点灯していることを報告し、同一三分に、IFF(軍用の敵味方識別装置)による呼掛けを行った。しかし、本件事故機には軍用のIFFに応答する設備が装着されておらず、右呼掛けに気付かなかったことから、何ら応答しなかった。そこで、八〇五機は地上管制に対し、目標が全く呼掛けに応答しない旨を報告した。なお、八〇五機は、国際緊急周波数121.5メガヘルツによる呼掛けは行っていない。(以上、甲一一、六一、九五の1、2、乙二七の1、2、三六)。
(3) 右当時、本件事故機は、両翼端及び後部に設置されている赤と緑と白の航法灯及び胴体に設置されている衝突防止灯(A・N・O)をそれぞれ点灯していたが、尾翼の社章を照らし出すロゴライトは点灯しておらず、客室の窓もシェードが下げられた状態であった。当時、本件事故現場の日の出は二〇時一三分であって、薄明状態もいまだ始まっておらず、月面の約四五パーセントが光る下弦の月が出ていたものの、前記気象状況と相俟って、本件事故現場付近は暗闇かそれに近い状態であった。なお、当時、右ソ連戦闘機は本件事故機の約二〇〇〇メートル下を飛行していたようである。
(甲一二の2の口絵の衛星写真、甲三二、五七の2、第三三回口頭弁論における証人信太正道の速記録二八、二九頁)
(4) ソ連戦闘機のパイロットらは、前記のとおり、カムチャッカ半島方面の基地からの情報が侵犯機は米軍のRC一三五であるという趣旨のもので、その旨の先入観を抱いていたこと、機種識別のための訓練が十分されておらず、特に西側の民間旅客機についての知識が乏しかったこと、気象条件が右のとおりであったことなどから、RC一三五と本件事故機(通称「ジャンボ」といわれる大型の旅客機)との大きさの違いや、同型旅客機には特徴的な操縦席後部上方付近の膨らみがあることなどに気付かず、本件事故機を航路を逸脱した民間航空機ではなく米軍偵察機であると誤認していた。
(甲一一、六一、九五の1、2、乙二七の1、2、三六)
(5) 右状況下において、ソ連司令部は、その一部には本件事故機が民間航空機ではないかとする意見もあったが、一八時一八分ころ、八〇五機から再度本件事故機が航法灯を点灯している旨の報告がもたらされたことから、八〇五機に対し、本件事故機と高度を合わせて飛行しながら警告をして強制着陸させるように指示した。
そこで、八〇五機は、本件事故機に対し警告するため下方から接近し、一八時一九分ころ、自機の航法灯を点滅させたが、八〇五機の位置が本件事故機の操縦席から死角にあり(甲三三)、本件事故機の乗務員は右警告に全く気付かず、八〇五機は司令部に対し「彼らは当方を見ていない。」旨の報告をした。
八〇五機は、一八時二一分ころ、警告集中弾を発射するよう命じられ、本件事故機の前方を狙って機関砲で二〇〇発以上の弾丸を連射したが、右弾丸は全て徹甲弾の種類であって曳光弾(発射されると発光して弾道が視認できる弾丸)ではなく、千機長らが視認できるものではなかったため、本件事故機は依然として自らが要撃状態にあることに気付かず、一方、右に至っても、ソ連戦闘機は本件事故機に対し前記国際緊急周波数121.5メガヘルツによる無線通信を利用して連絡を取らなかった(八〇五機が同措置を取るためには右周波数に合わせる必要があるところ、そうすると地上司令部との交信も不能になるため、時間的余裕がないと判断して敢えて右のような無線交信をすることをしなかった。)。
その直前の一八時一五分ころ、本件事故機は、東京ラジオに対し高度三万五〇〇〇フィートへの上昇許可を要求し、一八時二〇分ころ、東京ラジオが右上昇及び同高度の維持を承認したため、その直後から本件事故機は上昇を開始し、一八時二三分ころには右高度へ到達した。
(甲一一、六一、九五の1、2、乙二七の1、2、三六)
(6) 右のとおり、ソ連司令部は、本件事故機が前記戦闘機による警告的な機関砲の射撃にもかかわらず飛行を継続し、結局R二〇を約五〇〇キロも逸脱してソ連領空内に侵入した挙句、間もなくソ連領空から抜け出るような区域に達してしまったことから、その後本件事故機を捕捉することは困難になると判断し、本件事故機が民間航空機でないかとの疑念を払拭できないまま、一八時二二分ころ、本件事故機を撃墜することを命じた。
(甲二一の1、2、九五の1、2)。
(7) ところが、本件事故機の速度は、前記のとおり、右時点において、上昇に伴い相当程度減速していたため、八〇五機は本件事故機を追い越してしまい、ミサイルの発射が困難になってしまった。そこで、八〇五機はミサイルを発射できる位置まで後退した上、右命令に従って、一八時二五分ころ、前方を高度約三万五〇〇〇フィートで飛行中の本件事故機に向けて二発の空対空ミサイルを発射し、一八時二六分ころ、右ミサイルのうち少なくとも一発が本件事故機の尾部に命中し爆発した(八〇五機は、接触型雷管を有する熱探索ミサイルと接近型雷管を有するレーダー誘導型ミサイルとを装着しており、本件事故機から八ないし一一キロメートルの範囲で前者を発射し、約二秒後に後者を発射し、各ミサイルの本件事故機までの飛行時間は約三〇秒であった。)。そのため、本件事故機は制御能力を失い、一八時二七分、東京ラジオに対し、急速な減圧及び緊急降下のあることを通告し、その後約一二分間かろうじて飛行を続けた後(なお、右ミサイル命中の一分四四秒後に、フライト・レコーダーが一斉に作動を停止したが、その原因は不明である。)、遂に、一八時三八分ころ、サハリン島西南モネロン島北方沖合の公海上(航路図★印の北緯四六度三三分、東経一四一度一九分の地点付近)に墜落して大破し、本件被害者らは同所において全員死亡した(国籍ないし地域別犠牲者数は、韓国一〇五、米国六二、日本二八、台湾二三、フィリピン一六、香港一二、カナダ八、タイ五、豪州二、英国二、ドミニカ一、インド一、イラン一、マレーシア一、スエーデン一、ベトナム一である。)。その後の捜索により本件事故現場の海中において、また、海流によって北海道沿岸部において、本件事故機の残骸、遺体、遺品と認められるものが多数発見されたが、本件被害者らの遺体、遺品と同定できるものは現在に至るまで発見されていない。
(甲一一、六一、九五の1、2、乙二七の1、2)。
二 検討
1 争点1(相当因果関係)について
(一) 本件事故は、本件事故機が航路を逸脱しソ連領空を侵犯したことにより、ソ連の戦闘機によるミサイル攻撃を受け撃墜されたものであるから、右領空侵犯がなければ本件事故は発生しなかったものといえる。したがって、右領空侵犯と本件事故の発生との間に条件関係が存在することは明らかであるが、第三者であるソ連機による撃墜という特異な事情が介在していることから、右領空侵犯と本件事故の発生との間の相当因果関係の有無が問題となる余地がある。
(二) 右につき、被告は、ソ連機による撃墜という故意行為が介在しているから、前記因果関係は中断されたというべきであり、仮に事実的因果関係があるとしても、ソ連は、領空を侵犯する航空機が軍用機の場合でも、これを強制着陸させるための措置を執るのが通常であり、ソ連機が領空侵犯という理由のみで民間機である本件事故機を撃墜するという行為は、国際法に違反し、経験則に著しく反し、科学的予測を絶する異常な行為であるから、被告の行為と本件事故の発生の間には相当因果関係がない旨主張する。
確かに、前記のとおり、ICAOの勧告に係る要撃手続は、民間航空機を要撃することは最後の手段であって可能な限り避けるべきであるとし、特に添付Aにおいては、仮に要撃する場合でも武器の使用は控えるべきであるとしており、他にも被要撃機の安全の確保を重視した諸規定が設けられていることに照らすと、要撃機が被要撃機に対し攻撃を加えて撃墜することは全く想定されていない。本件において、前記戦闘機はミサイル攻撃によって民間機である本件事故機を撃墜したのであるから、これはICAOが提示している添付Aの要撃手続に反したものというべきである。
しかし、前記のとおり、①添付Aの要撃手続はあくまでも指針にすぎず、加盟国を法的に拘束するものではなく、領空侵犯をした民間航空機に対して主権国により武器が使用された事件は第二次世界大戦以降本件事故までに少なくとも三件発生していたこと、②殊に、被告は、ムルマンスク事件において、ソ連領空を侵犯した結果、ソ連戦闘機の機関砲による砲撃を受けて不時着し、その際、旅客二名が死亡したという苦い経験を有しており、右事件でも砲撃部位によっては撃墜に至る可能性もあったこと(右事件につき、マスコミは、ソ連機が十分な警告を与える前に砲撃を行った可能性が高い旨を報じていた。甲二五の1ないし5)、③本件事故当時、本件事故機の予定航路であったR二〇に近接したカムチャッカ半島、千島列島及びサハリン島付近にはソ連の重要軍事施設が多く、その付近においてはRC一三五などの米軍偵察機による領空侵犯を伴うか、それに近いような形態での偵察行動がしばしば行われ、ソ連は右偵察行為に神経を尖らせるという緊迫した状況にあったこと、④ムルマンスク事件後の昭和五七年一二月に改正されたソ連国境法三六条は、「ソ連邦の国境を保護する国境軍と防空軍は…侵犯者による武力の行使に対抗して、又は、他の方法により当該侵犯を停止することができないか、若しくは、侵犯者を抑留することができない場合には…空中のソ連邦国境の侵犯者に対して武器…を使用することができる」旨を規定し、侵犯者が武力を行使しない場合でも、侵犯行為を停止することができない場合や侵犯者を抑留できない場合には、武器を使用することを容認していたこと、⑤本件事故当時、ソ連以外の米国、韓国などの各国においても、飛行が禁止されている重要軍事施設の上空を民間航空機が飛行した場合には、無警告で発砲することもあり得たこと、⑥右状況の中で、米国国防省は、民間航空関係者でも入手が可能な軍民共用の航空チャートにおいて、カムチャッカ半島、千島列島及びサハリン島の上空を「飛行禁止区域」と指定し、「航空機が飛行禁止区域を侵犯した場合、何らかの警告なしに攻撃される可能性がある」旨を警告していたこと、⑦航空関係者が当時一般的に使用していた航空地図においては、カムチャッカ半島、千島列島及びサハリン島は「飛行禁止区域」と明示されており、特に千島列島上空の飛行については、これを回避するとともに、R二〇を飛行する場合には、航路とソ連の飛行情報空域(FIR)が接近していることから、右側(ソ連側)に旋回すべきではない旨を警告していたことなどが認められ、右のような客観的な状況の下に、本件事故当時、本件事故機の予定航路であるR二〇から航路を逸脱して、カムチャッカ半島、千島列島、サハリン島などのソ連領空に侵入した場合には、民間旅客機であってもソ連側からスパイ機であると見なされて、ソ連機による要撃の際に武力行使を受けて撃墜される危険があることは、R二〇などの北太平洋複合ルートシステムを飛行する国際線のパイロットらにとって周知のことであったと認められるものである。
したがって、前記認定のとおり、本件事故機がR二〇の航路から大きく北側に約五〇〇キロも逸脱し、カムチャッカ半島からサハリン島にかけてのソ連領空内にまで侵入した行為は、ソ連において領空侵犯機をスパイ機と見なして砲撃する可能性の極めて高い危険領域に侵入したにほかならず、このような場合、ソ連戦闘機の要撃を結果的に無視した形で領空侵犯を継続すればソ連からスパイ機と見なされてミサイルにより撃墜されるであろうことは、通常容易に予見することが可能な事実というべきであるから、本件事故機の領空侵犯行為とソ連機による撃墜、乗客らの死亡等との間には相当因果関係があると認められ、ソ連の撃墜行為が介在していることからして因果関係が中断されるという被告の主張は採用する余地がないものというべきである。
2 争点2(責任原因)について
(一) 本件被害者らの損害関係
(1) 航空機による有償の国際運送については、ワルソー条約及び改正ワルソー条約が存在するところ、原告らは被告に対し、本件被害者らの被った生命侵害による損害、手荷物等の物損に関して、ワルソー条約又は改正ワルソー条約に基づき損害賠償を請求していることから、本件の被害者らについてワルソー条約又は改正ワルソー条約の適用があるかどうかが問題となる。
① 被害者井上らと被告の間では、出発地をカナダ連邦トロント、到着地を日本国東京とする運送契約が締結されているところ、日本及びカナダはいずれもワルソー条約及びへーグ議定書を批准しているから、右運送契約は、ワルソー条約及びへーグ議定書の締約国であるカナダ連邦の領域にある地を出発地とし、同じく締約国である日本国の領域にある地を到達地とする航空機による旅客の国際運送契約であることが明らかであり、被害者井上らと被告の間の関係については、改正ワルソー条約が適用されることになる(ワルソー条約一条、へーグ議定書一条)。
② 被害者石原益代と被告の間では、出発地を米国ニューヨーク、到着地を日本国東京とする運送契約が締結されているところ、日本国はワルソー条約及びへーグ議定書を批准しているが、米国はヘーグ議定書を批准しておらずワルソー条約のみを批准しているから、右運送契約はワルソー条約の締約国である米国の領域にある地を出発地とし、同じく締約国である日本国の領域にある地を到達地とする航空機による旅客の国際運送契約であることが明らかであり、被害者石原益代と被告の間の関係については、ワルソー条約が適用されることになる(ワルソー条約一条)。
② ところで、ワルソー条約一七条は、「運送人は航空機上で生じた事故を原因とする旅客の死亡又は負傷その他の身体の傷害の場合における損害について責任を負う」旨を、同一八条も、右同様、「運送人は託送手荷物又は貨物の破壊滅失…における損害について責任を負う」旨を各規定するが、同条約二〇条において、運送人側が「損害を防止するために必要な全ての措置を執ったこと又はその措置を執ることができなかったことを証明したときは責任を負わない」旨を定めている(へーグ議定書によっても、ワルソー条約一七条、一八条、二〇条は改正されていないため、改正ワルソー条約においても同様である。)ところ、被告は、右免責の抗弁を主張しないから、本件被害者らの相続人として損害賠償を請求する原告らは、運送人である被告との間の国際航空運送契約の締結及び本件事故機上での右損害の発生を主張立証すれば足りるというべきである。
(3) 本件においては、争いのない事実等の1、3に記載したとおり、本件各運送契約の締結及び旅客の死亡、旅客の手荷物の滅失という損害の発生について当事者間に争いがないから、その余の点について判断するまでもなく、被告は本件被害者らに対し、右ワルソー条約の規定に基づき、人損、物損の両者について損害賠償義務を免れないというべきである。
(4) なお、被告は、本件訴訟の当初は、ワルソー条約二二条及び改正ワルソー条約二二条に基づく責任限度額の抗弁を援用したが、平成八年七月一〇日の第八八回口頭弁論期日において右抗弁を撤回した(記録上明らかである。)。右につき、原告らは、右責任限度額の規定は当事者が主張するか否かにかかわらず裁判所が判断しなければならない事柄である旨主張する。
しかしながら、ワルソー条約及び改正ワルソー条約が前記のとおり一方で無過失の証明責任を航空運送人に負わせ、他方で責任限度額を設け、航空運送人の責任が重い一定の場合についてのみ責任限度額を越えた損害賠償責任を認めている趣旨は、主として、ひとたび航空機事故が発生した場合は、その性質上、多数の死傷者が出ることが不可避であるという特殊性に鑑み、被害者の救済と、多額の投資を必要とする反面、財政的基盤が必ずしも強固とはいえない航空産業の保護育成という相反する二つの要請の調和という点に求められるというべきである。
そうであれば、ワルソー条約二二条及び改正ワルソー条約二二条の責任限度額の規定は、主として航空運送人の保護のために設けられた規定であることは明らかであって、その利益を享受するか否かはあくまでも航空運送人の自由意思に委ねられていると解するのが相当である(右二二条一項但書が「旅客は、運送人との契約により、更に高額の責任の限度を定めることができる」と規定していることも、右責任限度額の抗弁を援用するかどうかについて運送人が選択できることを裏付けているものといえる。)。したがって、右条約の解釈上、航空運送人の側が自らの意思で右責任限度額の利益を放棄することは可能であり、右抗弁を主張するかどうかは航空運送人の自由であるというべきであるから、いったん主張した右抗弁を撤回することについても何らこれを妨げるものではないというべきであり、この点に関する原告らの主張は到底採用することができない。
以上の次第であって、被告の右抗弁主張の撤回により、その余の点について判断するまでもなく、被告は原告らに対し、右責任限度額に関わらず、本件被害者らが被った精神的損害を含む全損害について賠償責任を負うものである(ワルソー条約一七条の「旅客の死亡又は負傷その他の身体の障害の場合における損害」中に精神的損害が含まれているかどうかについては、国際的に必ずしも見解が一致していないようであるが、同条約が元来フランス語のみで書かれたものであり、フランス法で「身体損害」という場合、精神的損害が含まれるのが一般であるとされており、「その他の身体の障害」についての損害には元来精神的損害が含まれていたと解することができること、その他精神的損害が排除されているものと解するのが相当であると考えるべき格別の事情が全く見当たらないことに照らすと、ワルソー条約一七条の「旅客の死亡又は負傷その他の身体の障害の場合における損害」中には旅客が被った精神的損害が含まれていると解するのが相当である。なお、被告は右につき格別の主張をしておらず、右につき特に争わないものと認められる。)。
(二) 原告らの固有の慰謝料等の損害について
(1) 責任根拠規定であるワルソー条約一七条、一八条は、運送人と顧客の国際航空運送契約の締結及び航空機上での損害の発生を要件として、運送人の旅客に対する責任を認める規定である(同条約二二条が「……各旅客についての運送人の責任は……と規定していることも、これを裏付けるものといえる。)ことに照らすと、ワルソー条約の一七条、一八条が賠償の対象としている損害中に遺族である原告らが被った固有の慰謝料等の損害が含まれていることについて疑問があり、にわかにこれを肯定することができない。したがって、右損害については不法行為に基づく損害賠償請求権の存否を検討しなければならないことになる
(ワルソー条約は、元来損害賠償請求権者の範囲及び当該損害賠償請求権者が損害賠償請求をしうる損害費目の範囲について何ら規定しておらず、同条約は右の点について格別の損害賠償法ないしその要件を創造したものではないと解する余地があり、そのような解釈の下においては、以下のような諸般の事情を考慮するとき法廷地法(裁判地法)である日本法に準拠して補充的に解釈判断することが可能であるとすれば、以下は、右原告ら固有の損害についてもワルソー条約上の損害賠償責任を論じていることになる。しかし、ワルソー条約上の運送人の責任の範囲等について右のような方法で決定(本件の場合には拡大的に解釈決定)することについてはなお疑問が残り、にわかに採用することができないものといわざるを得ない。なお、この点に関して被告は格別の主張をしていないが、弁論の全趣旨からして、その要件を充足しているかどうかは別として、何らかの適用法条によって原告らが右固有の慰謝料等についての損害賠償請求をしうること自体については特に争っていないものと認められる。)。
(2) そこで、本件被害者らの遺族である原告らが本件事故によって被った固有の損害に関する不法行為の成立・内容について、その準拠法をどのように解するかが問題となる。
不法行為の成立及び効力については、不法行為地法の原則が適用される(法例一一条一項。なお、韓国の「渉外私法一三条一項」も同様の規定を置いている。)ところ、いずれの地を「不法行為地」と見るべきかについては、議論があるものの、損害賠償制度は不法行為により損害を被った被害者の救済に重点があることなどに照らすと、原則として、責任原因の態様如何を問わず、損害が発生した地を不法行為地とするのが相当と解される(結果発生地説)。
ところで、前記一の4の(二)の(7)のとおり、本件事故機は、ソ連領内においてソ連機によるミサイル攻撃を受けたが、瞬時に爆発炎上して機体が大破したというものではなく、制御能力を失い、約一二分間にわたり飛行を継続した後、公海上に墜落して大破したものであるから、本件被害者らは墜落直後に公海中で死亡したものと推認される。したがって、本件事故は公海中において死亡という損害が発生したことになり、右結果発生地説によれば法律の存在しない場所が不法行為地となるから、結局、このような場合については法例一一条一項の適用がないことになる。
しかし、公海で生じた損害についてはおよそ不法行為が成立しないと解するのは明らかに不合理であるから、加害者及び被害者の両当事者の本国法が同じ場合にはその本国法を適用するのが相当である。問題は、本件のように加害者及び被害者の属する国が異なる場合であるが、各本国法が著しく異なることが想定されることなどからして、常に一義的に例えば加害者の本国法を適用するなどとすることに十分な合理性があるとは容易に認められないから、結局、事案に応じて、一切の事情及び当事者間の衡平を考慮し、条理に従って定めるほかないものと解するのが相当というべきである。そして、加害者及び被害者の属する国が異なる場合、一般的には加害者の本国法を適用するのが相当である場合が多いといえるかもしれないが、法例一一条二項・三項が法廷地法の介入を規定しており、右規定は同条一項の適用がない場合にも類推適用されると解されること、本件においては特に問題とならないものの、法例三三条の規定が一般的に適用されると解されることなどからして、少なくとも、被害者の本国法が我が国であって、それが法廷地法でもあり、かつ、加害者の本国法と被害者の本国法における不法行為の成立要件及び効力がほぼ同内容である場合には、加害場所、被害場所、加害態様、被害態様、損害内容等一切の事情を考慮してそれが相当でないというべき特段の事情が認められない限り、法廷地法である被害者の本国法を適用して差し支えがなく、かつそれが相当であると解される。
これを本件について見ると、本件の場合、加害者である被告が韓国、被害者らが日本国に属し、両当事者の本国法が異なるが、被告との間の本件各運送契約上本件被害者らの到着地がいずれも日本(東京)とされていたこと、本件事故機は元来公海を飛行した後日本の領空を通過すべきであった(本件事故当時、北海道南部ないし東北地方の概ね東側の公海上を運航しているはずであった。)のに、これを大きく北側に逸脱してソ連領空を侵犯してしまったもので、右航路の逸脱が主要な原因となって本件事故が発生したものであること、本件被害者らが死亡した公海は日本の領海に接続しており、本件事故後、北海道沿岸に本件事故機の乗客らの遺体、遺品と認められるものが多数漂着していること、韓国及び日本の両国ともに被害者の救済という観点から不法行為制度を定めており、その規定内容はほぼ同一であること(民法七〇九条以下、韓国民法七五〇条以下)などを考慮すると、少なくとも本件に係る不法行為については、条理上、本件被害者ら及び原告らの本国法であり、かつ、法廷地法でもある日本法に準拠して損害賠償請求権の成立と効力を判断して差し支えがなく、それが不合理というべき特段の事情は全く見当たらないから、右日本法に準拠して判断するのが相当と認められる。
(3) 右によって被告の運航乗務員の不法行為、被告の使用者責任(民法七〇九条、七一〇条、七一五条。なお、韓国民法七五〇条、七五一条、七五六条)について検討する。
本件事故機が航路を逸脱してソ連領空内を侵犯した行為とソ連機による撃墜及びこれによる本件被害者らの死亡との間に相当因果関係が認められることは前記のとおりであるから、本件被害者らの遺族である原告らが右死亡によって被った固有の損害と本件事故機が航路を逸脱してソ連領空内を侵犯した行為との間にも相当因果関係があると認められる。
そこで、右領空侵犯につき千機長らに故意又は過失があったかどうかについて検討する。
① まず、原告らは、本件事故機が米軍のスパイ機であり、意図的にソ連領空を侵犯した旨をも主張する。その主要な根拠は、
a 自衛隊及びソ連発表のレーダー資料によれば、本件事故機はサハリン島上空などにおいて地上管制に対し申告を行わずに高度及び針路を変更していたこと、
b 本件事故機は、ソ連戦闘機に要撃された際に追撃を振り切るためと見られる減速をしていること、
c 本件事故機は、カムチャッカ半島沖で米軍のRC一三五と会合していること、
d 米国は、本件事故機が航路を逸脱していることをレーダーで明らかに探知していたにもかかわらず、これに対して警告等の措置をとることなく放置していたこと、
などである。
しかし、右aについては、フライトレコーダーの記録によれば、本件事故機の航路はアンカレッジ空港を離陸した直後から本件事故に至るまで、終始、磁方位約二四五ないし二四六度を保持しており、また、高度変化も、前記認定のとおり、離陸後三万一〇〇〇フィートに上昇し、その後一六時〇六分ころ三万三〇〇〇フィートに、一八時二〇分ころ三万五〇〇〇フィートにそれぞれ上昇していることが記録されており、右はいずれもアンカレッジ管制及び東京ラジオに対する報告内容と同一のものであるから、本件事故機が無断で高度及び針路の変更をしたことは認められないというべきである。
bについては、確かに、本件事故機がソ連機に要撃されている間の一八時二〇分ころに減速したことが認められるが、千機長及び孫副操縦士は、いずれも被告入社前は韓国空軍でF八六等のジェット戦闘機のパイロットをしていた経験を有し、特に千機長は旅客機の機長としても相当の経験を積んだ人物であったことに照らせば、旅客機が如何に急上昇・急減速をしようとも、圧倒的な運動性能を有する戦闘機から逃げ切れるはずがないことを熟知していたというべきであるから、千機長が要撃機の追撃を振り切るために殊更減速したというのは不自然である(第三八回口頭弁論における証人金宗熙の速記録四七頁)。そして、前記のとおりボイスレコーダー及び地上管制との交信記録によれば、千機長らは、右上昇直前に平常通り東京ラジオに対し高度変更の許可を求めるなどしており、ソ連戦闘機に要撃されていることに気付いていた様子が全くないこと、フライトレコーダー記録(甲九五の1、2の図五「アンカレッジから撃墜までの〇〇七便」参照)によれば、本件事故機は必ずしも等速上昇を行っておらず、一六時〇六分ころ三万一〇〇〇フィートから三万三〇〇〇フィートへ上昇した時にも速度が一時的にやや低下していたことなどを考慮すれば、本件事故機の右減速は東京ラジオの許可に基づき三万五〇〇〇フィートへ上昇するためのものであったと考えるのが相当であり、ソ連戦闘機からの逃走を図ったためのものであるとは到底認められない。
なお、右に関し、自衛隊のレーダー記録には、本件事故機は管制への報告とは異なる高度変更をしているかのように記録されているが、右自衛隊のレーダー記録は前記フライトレコーダー記録と一致していないこと、ソ連戦闘機と管制基地との交信記録中には、右レーダー記録に沿うような高度変化は全く報告されていないこと(甲一一、一三、一五、三二、六一、九五の1、2、乙二二、二三、三六)、当時の自衛隊のレーダー記録の高度測定はある程度の誤差を伴うことがあり、その精度において問題がないわけではなかったこと(甲一三の三〇頁以下)などに照らすと、前記自衛隊のレーダー記録中の高度変更に関する記録部分の正確性については疑問が残り、直ちに信用することはできない。
ちなみに、ソ連のレーダー記録によれば、本件事故機は管制への報告とは異なる旋回をしていることが記録されているが、ソ連の発表した航跡図には相互に矛盾があり(甲一三の二七六頁)、レーダー担当者の記憶に基づいて記入したものである可能性が高く(甲一七の三一八頁、甲二七訳文の五〇頁など)、前記のとおりソ連戦闘機は現実にはカムチャッカ半島上空において本件事故機を発見することができなかったものであることなどを併せ考えると、ソ連のレーダー記録の正確性についても疑問があるというほかない。
そして、cについては、本件事故当時の国際政治情勢及び軍事的緊張関係からして、R二〇付近は軍事的に極めて緊張した区域であり、RC一三五などの米軍偵察機が日常的に飛行し電子情報収集任務に就いていたことが認められるから、両者が相前後してR二〇付近を飛行することは十分あり得ることであったこと、一方、本件事故機と右偵察機とが交信したり、相互に関連共同した行動をとったことを認めるに足りる証拠は全くないことなどを併せ考えると、本件事故直前にR二〇付近をRC一三五が飛行していたことをもって、殊更に右RC一三五が本件事故機と会合し、共同して偵察任務に就く目的で飛行していたことの証左とすることは到底できないものというべきである。
さらに、dについては、米軍が本件事故機に対し警告を与えなかったことが認められるが、米軍において、ソ連領空を飛行している航空機が民間航空機(本件事故機)であることを探知していた事実を認めるに足りる的確な証拠はない。また、仮に、米軍が本件事故機をレーダー等で探知していたとしても、本件事故機に対して警告を与えた場合には、軍事機密に属する自らのレーダー探知能力などについてソ連その他の外国に知られる危険性があり、そのことを考慮して敢えて警告しなかった可能性があるとも考えられるから、米軍が本件事故機に対し右警告を与えなかったことをもって、本件事故機の領空侵犯に格別の意図があったと推測をすることは相当でないというべきである。
かえって、ボイスレコーダー記録並びにアンカレッジ及び東京の各地上管制の交信記録によれば、本件事故機の乗務員の本件事故直前の対話口調には故意に領空侵犯をしているというような緊張感が全く認められず、極めて自然な対話ないし交信内容であったこと(甲一三、九五の1、2、第四一回口頭弁論における証人金宗熙の速記録七一頁。甲一八の1ないし4、一九、五五のうち、右認定に反する部分は採用することができない。)、右交信等において右乗務員が管制に報告している風向及び風速に関するデータはR二〇から相当程度北方のデータにほぼ等しいものであったこと、仮に本件事故機が故意に航路を逸脱した上で、右のようなデータを報告すれば、その少し後に同じR二〇を飛行しているはずの〇一五便等の報告に係るデータと異なることなどから、管制官に怪しまれ、航路逸脱の事実が露見する恐れがあった(甲一三の九六頁)から、千機長らはありのままのデータを報告しないように細工したはずであると考えられるのに、実際には右のとおりありのままのデータを報告をしていたこと、そもそも、米軍等は軍用偵察機によってソ連を偵察をすることが可能であるから、多数の民間人の生命を危険にさらし、かつ、それが露見した場合には国際的な厳しい非難を受けることが必至の民間旅客機を利用する偵察行為をしなければならない必要性があったとは考えられず、これを認めるに足りる証拠もないことなどを総合すれば、本件事故機が航路を逸脱しソ連領空を侵犯したのが政治的ないし軍事的な故意に基づくものであったとは容易に考えられないものであるところ、結局、右故意のあったことを認めるに足りる的確な証拠は全くないものである。
② また、原告らは、千機長らが、燃料節約のため意図的にアンカレッジとソウルを結ぶ最短距離の経路を飛行した旨主張する。
しかし、これを認めるに足りる証拠はなく、かえって、前記認定のとおり、ソ連領空を侵犯した場合には攻撃を受け撃墜される危険性があり、そのことは航空関係者間において周知の事柄であったことに照らせば、いかに航空燃料が高価なもので節約の必要があるものであったとしても、千機長らが燃料節約のため自らの生命及び多数の旅客の生命を危険にさらしてソ連領空を侵犯したというのは余りにも不自然であるから、右主張は採用することはできない。
その他、千機長らが故意に本件事故機をソ連領空に侵犯させたと認めるに足りる的確な証拠は全くないに帰する。結局のところ、スパイ説を含めて右故意説は、当時の冷戦状況から直ちに提示された説であって、次のとおり、その後の調査によっても、五時間以上にわたる本件事故機の航路逸脱に千機長らが何故気付かないままであったのかについて十分に解明することができなかったことから、現在なお完全には払拭し得ない一つの仮説として存在しているというにとどまり、以下の過失説よりも確かといえるような格別の根拠は全く認められないものであって、容易に採用することができないものというほかない。
③ そこで、過失の存否について検討する。
千機長らは、国際線のパイロットとして、本件事故機がその予定航路であるR二〇から逸脱して、カムチャッカ半島、千島列島、サハリン島などのソ連領空に侵入した場合、民間旅客機であってもソ連側からスパイ機であると見なされ、最悪の場合には、要撃の際に武力行使を受け、撃墜されてしまう危険すらあることを十分に認識していたのであるから、このような認識がある以上、旅客機の乗務員としては、本件事故機がR二〇を逸脱してソ連領空を侵犯することがないように細心の注意をすべき業務上の義務を負っていたものというべきであり、そのため、本件事故機の現在位置や針路をINS、レーダー、磁石式方位盤等の計器類により確認したり、地上の航法援助施設の受信装置を利用して自機の針路、航路逸脱の有無、飛行位置を確認するなど細心の注意を尽くすとともに、万一R二〇から逸脱してソ連領空を侵犯をしたときにおいても、直ちに地上管制等に連絡し、針路を調節してソ連の領空外に出るように是正し、かつ、右領空侵犯に対するソ連の応接の有無、特にソ連機による要撃の有無を慎重に確認し、右要撃に即した安全な対応をすべき義務上の注意義務があったものである。
しかるに、千機長らは、アンカレッジ空港離陸後間もなくして本件事故機をR二〇から逸脱させ、ソ連の領空を侵犯しながら、五時間以上にわたり自機の飛行位置の確認を怠り、ソ連機が要撃態勢を執ったことにすら全く気付かないで、全運航を通じて指定されたR二〇を航行するための適切な航法手続をせず(例えば、原告らも主張するとおり、千機長らは、本件事故機に装備されていた気象レーダーのグランドマッピング機能を利用することによって、R二〇の左右付近に散在するシェミア島、コマンドルスキー諸島、カムチャッカ半島、千島列島を容易に識別できるような詳細精密な形状を把握することができ、それによって航路の逸脱を認識することができた。当時の被告の内規上右操作をすることは義務付けられていなかったが、これを義務付けている航空会社もあり、航空乗務員にとって右操作をすることは通常の慣行であった。右レーダーは悪天候の場合気象観測用に優先的に利用されるものの、当時五時間以上にわたり、そのような悪天候であったと認めるに足りる証拠は全くなく、また、右レーダーが適切に機能していなかったと認めるに足りる証拠もないから、乗務員は右操作を五時間以上にわたり全くしなかったものと見るほかない。なお、ICAO最終報告書において(甲九五の2の七一頁)「運航乗務員は肉体的に適合状態にあったが、時差が交錯するゾーンを運航していたこと及び乗務時間のレベルが、一人以上の運航乗務員に疲労及び微妙な状況把握能力の欠如をもたらす可能性があった。」と指摘されている。)、漫然と飛行したことにより、ソ連機からスパイ機と見なされてミサイル攻撃を受け、本件事故を惹起したものであるから、千機長らには前記注意を怠った過失があったというべきである(ちなみに、本件事故当時、右計器類その他の本件事故機の機器類が全部正常に作動し機能していたという直接の明確な証拠はないものの、航路を逸脱してしまったという事実のほかには、右機器類が故障していたことを示すものは何も発見されていないから、右機器類は正常に作動し機能していたものというほかない。なお、仮に右機器類が正常に作動し機能していなかったとすれば、その点につき的確な確認をしなかったこと、確認後適切な応急措置を講じなかったことが過失となるであろう。)。
なお、本件事故機の右航路逸脱の直接の原因が何であるかについては、ICAO最終報告書を含めて本件全証拠によっても結局不明というほかない(右最終報告書は、前記認定のほか、「一定の機首磁方位の維持及びその結果生じた経路の逸脱は、自動操縦装置を「機首方位モード」に切り換えたままにしておいたこと、又は、意図した経路をINSがキャプチャーする範囲(7.5マイル)の外を航空機が飛行していた時にスイッチをINSに切り換えてしまったことに運航乗務員が気付かなかったためである。」「自動操縦装置はINSによる操縦ではなかった。」「自動操縦装置の機首方位の選択の利用によるマニュアルコントロールは乗務員によって行われなかった。」「航法システムが、意図した経路を維持するように正しく選択されていなかったことに運航乗務員が気付かなかったことは、選択された運用モードの表示が不十分であったことが関係しているかもしれない。」などと指摘している。そして、本件証拠上、原告らの主張に係る機器類の操作上の過誤及び右操作結果に対する的確な認識その他についての過誤があり、それが航路の逸脱の原因であった可能性のあることまでは認められるものの、結局のところ、幾つもの直接の過誤を想定して一定の推測をすることが可能という程度にとどまり(本件事故の原因につき多くの仮説が提示されているが、そのほとんどはその説に無理があるとの指摘ないし反証の試みに対して適切な再反論をすることができないままのものである。)、事故原因を全部矛盾なく説明できるような特定の過誤を断定することは証拠上到底困難であり、右過失が認められる限り本件の結論を左右しないところであるから、更に論じないこととする。)。
よって、本件事故につき右過失が認められる被告は本件被害者らの死亡によって原告らが被った後記固有の損害についても前記法条による使用者責任を免れない。
3 争点3(損害)
【原告井上ら関係】
(一) 被害者井上聖子外二名に生じた損害
(1) 井上聖子関係
合計三七〇〇万六五七九円
① 逸失利益二二〇〇万六五七九円
被害者井上聖子は、昭和一八年一二月二日生まれで、本件事故当時三九歳の主婦であり(甲四四の1、2、七一、九六、原告井上宏本人)、本件事故に遭わなければ六七歳までの二八年間にわたり、毎年賃金センサス昭和五八年第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の全年齢平均記載の年収額二一一万〇二〇〇円を下らない収入を得ることができたと認められ、生活費控除率を三〇パーセントとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して本件事件当時における逸失利益の現価を計算すると、二二〇〇万六五七九円となる。
原告らは、右逸失利益について、賃金上昇率三パーセントの下での新ホフマン係数による算定を主張するが、右上昇率についてはこれを確定するに足りる客観的資料がなく、また、中間利息の控除については一般的に採用されているライプニッツ方式によることが相当であり、それが不相当であるとの特段の事情が認められないから、この点に関する原告らの主張は採用できない(以上の賃金上昇率三パーセント及び中間利息の控除については、その余の本件被害者らについても同じである。)。
算式 2,110,200×(1−0.3)×14.8981=22,006,579(小数点以下切捨て。以下同じ)
② 慰謝料 一四〇〇万円
本件事故の発生経過、殊に、本件被害者には全く落度がないこと、本件事故機の航路逸脱の程度、被告側の過失の内容、本件事故機がミサイル攻撃を受けてから墜落するまでの間に約一二分間もあり、この間の急激な減圧や緊急降下による機内の混乱と被害者の恐怖は察するに余りあるものであること、被害者の遺体も遺品も結局海中にあるままであること、本件事故当時の被害者の年齢、社会ないし家庭内での立場などを総合考慮すると(以上のような考慮要素は本件被害者ら全員に共通であり、以下「本件諸般の事情」という。)、被害者井上聖子の精神的苦痛についての慰謝料は一四〇〇万円が相当である。
③ 物損 一〇〇万円
被害者井上聖子は、本件事故当時、相当額の現金、衣類、旅行用品等を所持し、また、購入価格二〇〇万円の指輪を着用していたと認められ(甲七一、七三の1、2、原告本人井上宏、弁論の全趣旨)、右は全て本件事故により滅失したことが明らかである。しかし、現金を除くその他の物品は、いずれも本件事故当時既に相当期間使用に供されていたものであり、相応の減価償却を行うべきであるから、被害者井上聖子の物的な損害は一〇〇万円と認めるのが相当である。
(2) 被害者井上美和関係
合計三三〇九万八一二一円
① 逸失利益二一〇二万八一二一円
被害者井上美和は、昭和四四年一一月二三日生まれで、本件事故当時一三歳の健康な女子であり(甲四四の1、2、七一、七三の1、2、九六、原告井上宏本人)、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳に達するまでの四九年間就労し、賃金センサス昭和五八年第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の全年齢平均二一一万〇二〇〇円を下らない収入を得ることができたと認められるから、右金額を基礎として、生活費控除率を三〇パーセントとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の現価を計算すると、被害者井上美和の逸失利益は二一〇二万八一二一円になる。
なお、原告らは、被害者井上美和の逸失利益算定の基準となる年収を、短大卒女子の平均賃金とすべきである旨主張しているが、同女において短大を卒業することにより全年齢平均よりも高い所得を得たであろうという高度の蓋然性のあることを認めるに足りる証拠はないから、右主張は採用できない。また、賃金上昇率三パーセントの主張については前記のとおりである。
算式 2,110,200×(1−0.3)×(18.5651−4.3294)=21,028,121
② 慰謝料 一二〇〇万円
本件諸般の事情を考慮すると、被害者井上美和の慰謝料は一二〇〇万円が相当である。
③ 物損 七万円
弁論の全趣旨によると、被害者井上美和は、本件事故当時、小遣い、衣類、旅行用品等を所持し、右は全て本件事故により滅失したことが認められるが、被害者井上美和が本件事故当時一三歳の中学生であったことなどからして、右に係る損害額は七万円と認めるのが相当である。
(3) 被害者井上陽に生じた損害
合計三〇八八万八二二四円
① 逸失利益一八八五万八二二四円
被害者井上陽は、昭和五五年六月二日生まれで、本件事故当時三歳の健康な男子であり(甲四四の1、2、七一、七三の1ないし4、九六、原告井上宏本人)、本件事故に遭わなければ、一八歳から六七歳に達するまでの四九年間就労し、賃金センサス昭和五八年第一巻第一表・産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の全年齢平均賃金三九二万三三〇〇円を下らない収入を得ることができたと認められるから、右金額を基礎として、生活費控除率を四五パーセントとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の現価を計算すると、被害者井上陽の逸失利益は一八八五万八二二四円となる。
なお、原告らは、被害者井上陽の逸失利益算定の基準となる年収を大卒男子の平均賃金とすべきである旨主張しているが、前記同様、その蓋然性について確たる証拠がないから、採用することができない。また、賃金上昇率三パーセントについての主張も前記同様採用できない。
数式 3,923,300×(1−0.45)×(19.1191−10.3796)=18,858,224
② 慰謝料 一二〇〇万円
本件諸般の事情を考慮すれば、被害者井上陽についての慰謝料は一二〇〇万円が相当である。
③ 物損 三万円
弁論の全趣旨によると、被害者井上陽は、本件事故当時、衣類、旅行用品等を所持し、右は全て本件事故により滅失したことが認められるが、被害者井上陽が本件事故当時三歳の幼児であったことに照らせば、右に係る損害額は三万円と認めるのが相当である。
(4) 相続関係
原告井上宏は被害者井上聖子の夫であり、原告井上哲は被害者井上聖子の子であるから、被害者井上聖子に生じた損害賠償請求権を各二分の一の割合(一八五〇万三二八九円ずつ)で相続したというべきである。
原告井上宏は、被害者井上美和及び井上陽の父であり、同被害者らに生じた損害賠償請求権(合計六三九八万六三四五円)を単独で相続した。
よって、原告井上宏が相続した被害者井上聖子外二名の損害賠償請求権は合計八二四八万九六三四円であり、原告井上哲が相続した被害者井上聖子の損害賠償請求権は一八五〇万三二八九円である。
(5) 損害の填補
争いのない事実等の7記載のとおり、被告は、①被害者井上聖子の相続人である原告井上宏及び同哲に対し合計五五〇万円を、②被害者井上美和の相続人である原告井上宏に対し合計五五〇万円を、③被害者井上陽の相続人である原告井上宏に対し合計三〇〇万円を支払ったことが認められる。
そうすると、原告井上宏の被告に対する損害賠償請求権は右填補部分を控除すると七一二三万九六三四円であり、原告井上哲の被告に対する損害賠償請求権は右填補額を控除すると、一五七五万三二八九円である。
(二) 原告井上らの固有の損害
(1) 慰謝料
原告井上宏は妻と二人の子供を、原告井上哲は母、妹及び弟を、原告柄澤紫朗及び同柄澤幸は娘を本件事故により失ったものであり、本件被害者らの死亡について、それぞれ甚大な精神的苦痛を被ったことは明らかである。本件諸般の事情、特に右被害者らの遺体や遺品が回収されていないことなどを総合的に考慮すれば、原告井上らの被った精神的苦痛に対する慰謝料としては、原告井上宏については五〇〇万円、原告井上哲については三〇〇万円、原告柄澤紫朗及び原告柄澤幸については各五〇万円が相当である。
(2) 葬儀費用(原告井上宏)
二〇〇万円
原告井上宏において被害者井上聖子外二名の葬儀費用として二〇〇万円以上の負担をし、右のうち二〇〇万円が本件事故と相当因果関係がある損害と認められる(甲九六、原告井上宏本人、弁論の全趣旨)。
(三) まとめ
原告井上宏は被害者井上聖子外二名から相続した七一二三万九六三四円と固有の損害七〇〇万円の合計七八二三万九六三四円の損害賠償請求権を、原告井上哲は被害者井上聖子から相続した一五七五万三二八九円と固有の損害三〇〇万円の合計一八七五万三二八九円の損害賠償請求権を、原告柄澤紫朗及び原告柄澤幸については各五〇万円の固有の損害賠償請求権をそれぞれ有することになる。
(四) 弁護士費用
原告井上らが、本件被害者らから相続した損害(ワルソー条約に基づく損害賠償請求)と原告ら固有の不法行為に基づく損害を訴求するため、弁護士である原告ら代理人らに対し、本件訴訟の追行を委任したことは記録上明らかであり、本件事案の特質、内容、難易度、審理経過、認容額その他本件にあらわれた一切の事情を総合考慮すれば、原告らの支出した本件に係る弁護士費用のうち、原告井上宏については九四〇万円、原告井上哲については二二五万円、原告柄澤紫朗については六万円、原告柄澤幸については六万円が、それぞれ被告の行為と相当因果関係のある損害であると認めるのが相当である。
(五) 結論
よって、被告が賠償すべき損害額は、原告井上宏については八七六三万九六三四円、原告井上哲については二一〇〇万三二八九円、原告柄澤紫朗については五六万円、原告柄澤幸については五六万円である。
(二) 原告石原らについて
(1) 被害者石原益代に生じた損害
二四九九万九二一五円
① 逸失利益一〇四九万九二一五円
被害者石原益代は、大正八年二月八日生まれで、本件事故当時六四歳の無職者であり(甲七二、原告石原昭穂本人)、昭和五八年度生命簡易表によれば、六四歳女子の平均余命は19.23年である。してみれば、被害者石原益代は、本件事故に遭わなければ、その後、少なくとも平均余命年数のほぼ半分の九年間にわたって就労が可能であり、その間、賃金センサス昭和五八年第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の全年齢平均の年収額二一一万〇二〇〇円を下らない収入を得ることができたと認められるから、生活費控除率を三〇パーセントとし、ライプニッツ方式により中間利息を控除して逸失利益の現価を計算すると、被害者石原益代の逸失利益は一〇四九万九二一五円であるというべきである(なお、賃金上昇率三パーセントの主張については前記のとおり採用できない。)。
数式 2,110,200×(1−0.3)×7.1078=10,499,215
② 慰謝料 一四〇〇万円
本件諸般の事情に照らすと、被害者石原益代の精神的苦痛に対する慰謝料としては一四〇〇万円が相当と認められる。
③物損 五〇万円
弁論の全趣旨によると、被害者石原益代は、本件事故当時、相当額の現金、衣類、旅行用品等を所持していたことが認められ、右は全て本件事故により滅失したことが明らかであり、右に係る損害額は五〇万円と認めることができる。
(2) 相続関係
原告石原昭穂、原告宮岡敏子及び原告石原伸二は、いずれも被害者石原益代の子であり、同被害者に生じた損害賠償請求権を、各三分の一の割合(各八三三万三〇七一円)で相続した。
(3) 損害の填補(見舞金等の支払)
五五〇万円
被告は、争いのない事実等7のとおり、被害者石原益代の相続人に対し、合計五五〇万円を支払ったから、原告石原らの各損害は六四九万九七三八円である。
(二) 原告ら固有の損害
(1) 慰謝料
原告石原らが、母である被害者石原益代の死亡により甚大な精神的苦痛を被ったことは明らかであり、本件諸般の事情を考慮すると、右の慰謝料としては各一二〇万円が相当である。
(2) 葬儀費用
原告石原らは、被害者石原益代について九〇万円以上の葬儀費用を負担したことが認められ。そのうち九〇万円(各原告につき三〇万円)が本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。
(三) まとめ
原告石原らの損害賠償請求は、被害者石原益代からの相続分である各六四九万九七三八円と固有の損害である各一五〇万円を合計すると、各七九九万九七三八円である。
(四) 弁護士費用
原告井上らの場合と同様に、原告石原らについても、本訴に係る弁護士費用は本件事故と相当因果関係のある損害であるというべきであり、本件事案の右特質、難易度、審理経過、認容額その他本件にあらわれた諸事情を総合的に考慮すれば、原告石原らの支出した弁護士費用のうち各九五万円が被告の行為と相当因果関係のある損害であると認められる。
(五) 結論
よって、被告が賠償すべき損害額は、原告石原昭穂、原告宮岡敏子及び原告石原伸二につき、各八九四万九七三八円であると認められる。
4 争点4(寄与度、割合的責任)について
被告は、本件事故の発生についての被告の寄与度が極めて低いものであるから、賠償責任額も被告の寄与の限度、すなわち正常な要撃が行われた場合であれば本件被害者らないし原告らが被ったであろう被害の範囲に限定されるべきである旨主張する。
しかし、一般的に、損害賠償制度は、その行為と相当因果関係がある範囲の全損害について賠償責任が認められるのであって、このことはワルソー条約に基づく損害賠償請求権の行使においても、一般不法行為に基づく損害賠償請求権の行使においても何ら変わりがないというべきである。
のみならず、前記のとおり、本件事故機がソ連領空を侵犯した場合にはソ連機によって撃墜される危険性が高かったことが明らかであるから、本件事故の発生について被告の寄与度が極めて低いものであったという被告主張の前提事実自体が認められない。そして、前記のとおり、被告の航路逸脱行為とソ連の撃墜行為との間に相当因果関係のあることが認められるのであるから、被告には右撃墜の結果発生した本件事故の全損害について賠償責任があるというべきである。なお、本件事故の発生に不可抗力と目すべき原因が競合していたとしても、一般的には、それによって被告の賠償責任の範囲が縮小する筋合いはないものと解するのが相当であるのみならず、一般論として仮に不可抗力というべき原因が競合していることによって賠償責任が縮小することがあるとしても、前記認定のとおり、本件事故は本件事故機が前記のとおり航路を逸脱したことによりソ連機の撃墜されて生じたものであるから、本件事故の発生に不可抗力と目すべき原因が寄与していたとは到底いえない。
したがって、この点に関する被告の主張は採用の限りでない。
三 結び
以上の次第であるから、原告らの被告に対する各請求は、別紙原告別認容額一覧表欄記載の各金員及びこれに対する本件事故の日である昭和五八年九月一日又は訴状送達の日(確定的な支払催告の意思表示の意味もある。)の翌日であることが記録上明らかな昭和六〇年九月二八日(その区分は主文のとおりであり、その区分理由は以下のとおりである。)から各支払済みに至るまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(原告らは、原告らが相続した本件被害者らの損害賠償請求権につき、本件事故発生の日からの遅延損害金の支払を求めている。しかし、本件被害者らの損害賠償請求に係るワルソー条約は、「当事者間の約定」(同条約一条二項)を要件とし、契約法の原則を基本として規定していると認められることに照らすと、右に係る被告の債務は期限の定めのない債務というべきであり、それが遅滞に陥るのは本件事故の日ではなく、請求の日の翌日と解するのが相当である。)。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官伊藤剛 裁判官市村弘 裁判官中村心)
別紙被害者目録
【1】 井上聖子
生年月日 昭和一八年一二月二日生
本籍 <省略>
住所 <省略>
職業 主婦
原告との関係 (夫) 井上宏
(長男) 井上哲
(父) 柄澤紫朗 (母) 柄澤幸
【2】 井上美和
生年月日 昭和四四年一一月二三日生
本籍 <省略>
住所 <省略>
職業 中学生
原告との関係 (父) 井上宏
【3】 井上陽
生年月日 昭和五五年六月二日生
本籍 <省略>
住所 <省略>
職業 幼児
原告との関係 (父) 井上宏
【4】 石原益代
生年月日 大正八年二月八日生
本籍 <省略>
住所 <省略>
職業 主婦
原告との関係 (長男) 石原昭穂 (長女) 宮岡敏子 (次男) 石原伸二
原告別請求額一覧表
原告名
被害者
番号
相続損害額
固有慰謝料
葬儀関係費用
弁護士報酬
合計額
井上宏
〔1〕
48,630,000
10,000,000
2,000,000
6,063,000
66,693,000
〔2〕
105,900,000
10,000,000
2,000,000
11,790,000
129,690,000
〔3〕
109,080,000
10,000,000
2,000,000
12,108,000
133,188,000
小計
263,610,000
30,000,000
6,000,000
29,961,000
329,571,000
井上哲
〔1〕
48,630,000
10,000,000
5,863,000
64,493,000
柄澤紫朗
〔1〕
10,000,000
1,000,000
11,000,000
柄澤幸
〔1〕
10,000,000
1,000,000
11,000,000
石原昭穂
〔4〕
17,940,000
10,000,000
1,000,000
2,894,000
31,834,000
宮岡敏子
〔4〕
17,940,000
10,000,000
1,000,000
2,894,000
31,834,000
石原伸二
〔4〕
17,940,000
10,000,000
1,000,000
2,894,000
31,834,000
原告別認容額一覧表
3 各原告の請求額
原告名
井上宏
井上哲
柄澤紫朗
柄澤幸
①相続分
1/2
1/2
②遭難者の損害の相続額
48,630,000
48,630,000
③固有の慰謝料
10,000,000
10,000,000
10,000,000
10,000,000
④葬儀費
2,000,000
⑤②+③+④の合計
60,630,000
58,630,000
10,000,000
10,000,000
⑥弁護士費用
6,063,000
5,863,000
1,000,000
1,000,000
⑦請求額
66,693,000
64,493,000
11,000,000
11,000,000
請求額計算書〔1〕
被害者名(事故当時の年齢):井上聖子(39才9ケ月)
1 被害者の損害額合計: 9726万円
(1) 逸失利益: 5526万円
イ 基準とする年収及びその算定根拠:
3,291,700円
短大卒女子40〜44才平均賃金
ロ 就労可能年数(又は平均余命年数の1/2):
27年
ハ 生活費控除率: 30%
ニ 賃金上昇率: 3%
ホ 3%の上昇率のもとでの新ホフマン係数: 23.9843
ヘ 計算式:3,291,700×0.7×23.9843
(2) 慰謝料: 4000万円
(3) 物損: 200万円
2 各遺族固有の損害
(1) 慰謝料: 各遺族それぞれについて1000万円
(2) 葬儀費: 200万円
3 各原告の請求額
原告名
井上宏
①相続分
1
②遭難者の損害の相続額
105,900,000
③固有の慰謝料
10,000,000
④葬儀費
2,000,000
⑤②+③+④の合計
117,900,000
⑥弁護士費用
11,790,000
⑦請求額
129,690,000
請求額計算書〔2〕
被害者名(事故当時の年齢):井上美和(13才)
1 被害者の損害額合計: 1億590万円
(1) 逸失利益: 6540万円
イ 基準とする年収及びその算定根拠:
1,993,900円
短大卒女子20〜24才平均賃金
ロ 就労可能年数(又は平均余命年数の1/2):
47年
ハ 生活費控除率: 30%
ニ 賃金上昇率: 3%
ホ 3%の上昇率のもとでの新ホフマン係数: 46.8541
ヘ 計算式:1,993,900×0.7×46.8541
(2) 慰謝料: 4000万円
(3) 物損: 50万円
2 各遺族固有の損害
(1) 慰謝料: 各遺族それぞれについて1000万円
(2) 葬儀費: 200万円
3 各原告の請求額
原告名
井上宏
①相続分
1
②遭難者の損害の相続額
109,080,000
③固有の慰謝料
10,000,000
④葬儀費
2,000,000
⑤②+③+④の合計
121,080,000
⑥弁護士費用
12,108,000
⑦請求額
133,188,000
請求額計算書〔3〕
被害者名(事故当時の年齢):井上陽(3才)
1 被害者の損害額合計: 1億908万円
(1) 逸失利益: 6858万円
イ 基準とする年収及びその算定根拠:
2,257,300円
大卒男子20〜24才
ロ 就労可能年数(又は平均余命年数の1/2):
45年
ハ 生活費控除率: 40%
ニ 賃金上昇率: 3%
ホ 3%の上昇率のもとでの新ホフマン係数: 50.6366
ヘ 計算式:2,257,300×0.6×50.6366
(2) 慰謝料: 4000万円
(3) 物損: 50万円
2 各遺族固有の損害
(1) 慰謝料: 各遺族それぞれについて1000万円
(2) 葬儀費: 200万円
3 各原告の請求額
原告名
石原昭穂
宮岡敏子
石原仲二
①相続分
1/3
1/3
1/3
②遭難者の損害の相続額
17,940,000
17,940,000
17,940,000
③固有の慰謝料
10,000,000
10,000,000
10,000,000
④葬儀費
1,000,000
1,000,000
1,000,000
⑤②+③+④の合計
28,940,000
28,940,000
28,940,000
⑥弁護士費用
2,894,000
2,894,000
2,894,000
⑦請求額
31,834,000
31,834,000
31,834,000
請求額計算書〔4〕
被害者名(事故当時の年齢):石原益代(64才)
1 被害者の損害額合計: 5382万円
(1) 逸失利益: 1332万円
イ 基準とする年収及びその算定根拠:
2,110,200円
学歴計女子全年令平均賃金
ロ 就労可能年数(又は平均余命年数の1/2):
10年
ハ 生活費控除率: 30%
ニ 賃金上昇率: 3%
ホ 3%の上昇率のもとでの新ホフマン係数: 9.0205
ヘ 計算式:2,110,200×0.7×9.0205
(2) 慰謝料: 4000万円
(3) 物損: 50万円
2 各遺族固有の損害
(1) 慰謝料: 各遺族それぞれについて1000万円
(2) 葬儀費: 300万円
別紙航路図